2012年3月29日木曜日

3/18 第二回メタ哲学カフェ まとめ

遅くなりましたが第二回メタ哲学カフェのまとめです。
ツイッター上の投稿に適宜補足を加えてあります。


posted at 14:29:10
進行役:本日のテーマは「メタ哲学カフェ」。「哲学カフェは何を目指すのか」です。
posted at 15:04:14

1、哲学カフェは「おしゃべり」「雑談」と何が違うのか。
2、哲学カフェはどのように「哲学的」なのか。
3、哲学カフェはいま何を目指すのか。

この三点について話し合いたい。

まず、1から。

posted at 15:06:29
A:様々な哲学カフェに出たが、テーマの立て方に違いを感じる。原理原則を話し合うのが哲学カフェ。おしゃべりでは触れないことを話す。
posted at 15:12:18
A頭を使う。受身ではなく、異なる立場に身を置いて考える必要がある。それは世の中での訓練にもある。
posted at 15:13:54
B:哲学カフェの本質が何なのか見えない。議論の仕方も集まっている人数も違うのに、ひとくくりに哲学カフェとして論じていいのかわからない。
posted at 15:15:21
A:哲学カフェの場合は、学問的ではなく日常的な話題。専門的な用語ではなく、日常的な用語。学問的な哲学とは違う。ただ、そこからよりよい生活が見えるような気がした。
posted at 15:16:21
B:哲学道場は、哲学カフェに比べて縛りがゆるい。専門用語も飛び交う。議論が好戦的。武闘派。学生以上に、哲学が趣味の人が集まる。
posted at 15:19:38
B:大学のゼミとの比較も必要だと思う。そういうところとの区別から哲学カフェの意義をみつけられるのではないか。
posted at 15:20:35
不明:哲学カフェの背景には、コミュニケーションが欲しいという潜在的な欲求があるのではないか。切実な欲求がある。
posted at 15:22:11
進行役:哲学カフェとは何なのか、全く共有できてないという印象がある。
はじめにレクチャーがあって、その後、討論がある哲学カフェもある。「おしゃべり」でしかない哲学カフェもあるように思う。
posted at 15:23:46
A:カフェってつくと、「市民参加」というイメージがある。哲学書を読んだことがなくても、来て、何かを持ち帰ることができる場だと思う。
posted at 15:25:09
C:ひとりひとりが哲学をもっているが、あえて言語化する場がない。カフェ、道場、哲学塾、今日話を聞いて、それぞれに面白さを感じた。
posted at 15:26:30
B:哲学カフェの参加者は、あからさまな否定を避けているような感じがする。
posted at 15:27:12
B:れぞれの哲学カフェで、住み分け、それぞれのカラーが出たほうが面白いんじゃないか。選択肢が増えたほうが面白い。それぞれの場で輝ける人がいる。
posted at 15:28:17
D:議論の中で、激昂するのだってありじゃないか。日本に入って、日本風になっているんじゃないか。
posted at 15:29:52
E:道場の場合は、発表者によってその場のカラーが決まる。哲学の知識がをなくても、声が大きくて、演技力がある人がやっていきやすい場。
posted at 15:32:10
C:レクチャーをいれるやり方もある。生活実践と、自分の経験知と論理を、専門知から結びつけている。
posted at 15:34:31
進行役。自分の場合、哲学カフェを始めたきっかけは、最初は、学問を社会に結びつけていこうというアウトリーチという意識が強かった。
しかし、実際の哲学カフェに出てみると、参加者が鬼気迫る人生体験をぶつけてくる。いままでやってきた哲学が、実感がこもってないものに感じた。
哲学カフェを続けながら、哲学カフェとは何なのかがわからなくなってきている。共有しているエッセンスはあるのか。
posted at 15:38:00
進行役 2.哲学カフェは何が「哲学」なのかについて話を移したい。
posted at 15:38:28
進行役:専門用語を嫌うというスタイルが、哲学カフェではわりと統一されている。ただ、専門用語が必要というスタンスの人もいるだろう。
前回のメタ哲学カフェの内容を踏まえると、哲学を勉強したいと思って哲学カフェに来る人も多くいる。参加者のある考えは、あの哲学者に近いということを言ってあげてもいいのではないかという意見もあった。
posted at 15:40:17
進行役:、一方、ある哲学カフェでは、参加者の中に哲学に興味ある人は数人で、話をしたいという人の方が圧倒的に多かった。
posted at 15:41:00
A:少なくとも哲学を感じることができる場ではあるのではないか。テーマの与え方やファシリテーションの仕方も含めて。
posted at 15:41:57
F:ただの対話の場ではない。少しレベルの高い対話をしたい。ふつうのおしゃべりの場ではしない。考えるしかけをくれる場。
posted at 15:42:56
G:インタラクティブに話し合える場は、哲学カフェだけだと思う。サイエンスカフェはアウトリーチ的な視点しかないように思える。
posted at 15:43:49
H:社会学とは何が違うのか。本当に哲学ど真ん中のテーマを扱っているような哲学カフェはそんなにないのではないか。
posted at 15:44:18
E:「哲学」をどう定義するかという問題。問いかけて、答える、議論。ソクラテスが言ったことに近いのではないか。問うことによって哲学をしているのではないか。
posted at 15:45:25
E:哲学カフェを、社会学によってフィールドワークしたら面白いような気がする。
posted at 15:45:52
F:問答のスタイルが哲学的であれば、哲学的なのではないか。
posted at 15:46:06
D::わからないものをわかろうとするのが哲学なのではないか。わからないということをわかることが哲学だと思う。
posted at 15:47:25
A:社会問題にしても、「哲学」がないままに、議論がされていると言われる。その場合の「哲学」とは何なのか、それがわからない。論理的なものなのか。今日はそのヒントをもらいにきた。
posted at 15:48:56
I:一般的に、企業「哲学」、人生「哲学」のように言われる。それが哲学カフェの哲学なのか。対話という話もでた。哲学史上の大問題にストレートにぶちあたることなのか。
posted at 15:50:34
進行役:ふだんあまり考えないようなことについて、きっかけを与えたい。小金井哲学カフェでは一応そういう風に言っている。それはサイエンスカフェでも、演劇のワークショップでもやっている。じゃあそれらは哲学カフェなのか。
posted at 15:51:23
A:哲学は帰納的に結論を出すものではない。社会問題に対して、どう生きるのか。
それをベースに結論を出すのが、哲学だと思っていた。
posted at 15:53:12
A:人間とは何か。社会とは何か。震災以降、考えることが多くなった。さまざまな社会問題に対して、どう考えるか。
posted at 15:54:25
A:日常問題にあふれている諸問題は突き詰めていくと、哲学になる。それまで、哲学は形而上学的なものだと思っていた。リアルな日常の中でどうしていくかというところに結びついていく。
posted at 15:55:53
D:カントが、根本的な問題は5才の子供でもわかるといっている。命が大事だということが共通する根本的な価値観だと思う。
posted at 15:57:02
A:でも、その人間の命が大事だという価値観自体がわからなくなる。
posted at 15:57:26
E:人間の命が絶対条件かということ自体も問いになる。
posted at 15:57:49
E:「思想」と「哲学」との異同の問題ではないか。
posted at 15:58:20
G:科学にも限界がある。わからないことがある。そうした束縛条件のもとで、いま何をすべきかということを語ること。
posted at 15:59:57
G:哲学は、知識の体系。あるいは、ああでもない、こうでもないというディスカッションのダイナミクス。間違ったことを絶えずディスカッションによって修正していく場。
posted at 16:00:48
F:大学でやっている哲学は、かなりスタティックなものだと思う。社会との乖離がある。もどかしい。哲学にはダイナミックな側面がある。問うこと、疑うこと、哲学の根本にあるもの。
哲学カフェとは何かという定義よりは、そうしたダイナミクスを大切にしていけばいいのではないか。
posted at 16:03:36

進行役:こういうふうに、哲学カフェについて話し合う場すらなかったというのが現状だったと思う。定義やあるべき姿を定めたいわけではない。
posted at 16:07:45
B:道場は、福祉の面もある。哲学がどうしても必要だが、どこのカフェや塾にも受け入れられなかった人が集まる傾向がある。
posted at 16:09:03
D:哲学カフェは自分にとって希望になった。こうやって生きればいいという希望をもてた。
posted at 16:10:09
H:ダイナミックに動くところも、長期間変わらない本質的な部分も確認されるべき。両輪。
posted at 16:11:48
H:哲学書によって学ぶということもある意味ではダイナミック。議論をするということもダイナミック。実践に展開していくということもダイナミックともいえるのではある。
posted at 16:12:24
E:ダイナミックな哲学を芸術で表現したらどうなるかと思っている。
posted at 16:13:17
哲学も芸術も、普遍性を打ち立てて、それをぶつけ合う。多くの人とぶつかりあっていく。
posted at 16:14:45
進行役:ひとりで哲学書を読むことと、対話は何が違うのか、という意見も前に出た。あえて議論をすることの効率の悪さもあるだろう。わざわざ時間を費やして、話し合うのか。
posted at 16:15:48
E:「気づき」がある。どこに参加するにしてもそういう意義がある。
posted at 16:16:25
不明:本を読んだってそれはあるのではないか。
posted at 16:16:37
不明:人と話したほうが、気づきが大きい気がする。
posted at 16:16:54
A:議論の方が、具体的な体験を聞ける。原理原則とのつながりを感じられる。同じ対象に向かっても、表現の仕方も違う。
posted at 16:17:41
B:自分の思ったことが正しいのか確認する場。新しい話題を持ち帰ることもできる。
posted at 16:18:09
B:哲学には、うまい人、下手なひとがいるように思う。議論、討論することで、下手な人がうまい人のやり方を学ぶこともできる。
一人で哲学書を読むだけでは応用できなかったり、読み違えたりする。うまい人がやっているのをみて学ぶ。
インプットするだけではない、アウトプットする場でもある。

posted at 16:20:26
B:哲学カフェの場合、それぞれの人が意見を言うが、それが展開して、組み上がっていくということがないように思う。
posted at 16:21:30
B:あまり衝突はしないようにする。平均化させられているような気がする。
posted at 16:22:36
不明:ディスカッションでやりあって大丈夫な人もいるが、ひどく傷ついてしまう人もいるだろう。そういう人にも来てもらいたいという面もある。
posted at 16:23:53
進行役:議論と対話は違うのか。
posted at 16:24:27
哲学カフェ、止めても止めてもしゃべる人がいるため、出入り禁止があるという話も聞く。
posted at 16:25:46
A:「カフェ」であるから、なるべく公平に話すというスタイルをとっている。それに合わない人がいるということだろう。
posted at 16:26:45
寛容であることによって、不寛容であるのかもしれない。「カフェ」の規範に合わない人も受け入れられるのか。
posted at 16:27:38
D:哲学カフェは、平成のアカデメイアを目指しているのではないか。
posted at 16:28:36
F:哲学カフェでは、はっきりこれが何かと得るものはないかもしれない。題材によって、違うかもしれないが。何か持ち帰りたいという感覚がある。
結局、結論は出ないのが、哲学カフェ。
プロセスを楽しむのが哲学カフェ。こういう気づきもあったというのを持ち帰ることはできるだろう。
posted at 16:31:47
E:持ち帰る人が来るのだろう。持ち帰れない人は去っていくのだろう。
posted at 16:32:18
G:カフェという場は、肩の力を抜いた場。サイエンスカフェはワンウェイ。哲学カフェは民主的で、インタラクティブな場。それも一つのあり方。新たな気づきによって、新しい脳の回路が構成されれば、それはそれでいいのでは。
posted at 16:34:00
B:結論がでなくてもいいが、対立が欲しい。それがあれば、見えてくるものがあるような気がする。
posted at 16:36:09
B:2時間じゃ足りない。限界があるのではないか。
posted at 16:36:46

posted at 16:39:38
進行役:哲学カフェはこれからどこに向かうのか。一種の哲学ブームが来ているという実感がある。サンデル、や、とりわけ震災以後に顕著。
posted at 16:40:57
B:それぞれのニーズにあった哲学カフェほか団体ができればいいというのが一つの答えかと思うが。
posted at 16:41:32
進行役:今後、どういった形の哲学カフェができればいいと思うか。
posted at 16:41:56
B:哲学カフェごとにそれぞれのカラーがあればいいのではないか。小金井ならでは、のように。
posted at 16:42:31
不明:参加者主体となると、難しい面があるのではないか。色をつけづらいのではないか。
posted at 16:43:01
B:無色とはいえ、スタンスはある。さまざまな哲学カフェに分化していけばいいというのが一つの意見。
posted at 16:43:49
不明:地域性もある。関西ならもっとおしゃべりな人がくるだろう。
posted at 16:44:32
A:カフェと名付けた時点でスタイルを選んでいるのだから、それでいいのではないか。
posted at 16:45:39
F:哲学カフェが関東で出始めたのはわりと最近のこと。今後、試行錯誤の中で、色合いが出てくるのではないかということもある。
posted at 16:46:14
A:哲学カフェに求めるもの。ひとつは対話のスタイル。一人ではできない対話の体験。目的は、民主的な対話を日常的にできる場が欲しかったということ。考えることはなんでもよかった。
posted at 16:47:07
A:もうひとつは、日常的な次元で自分が考えていることをサポートする哲学を学ぶ場。自分の考えが、哲学の歴史のどこにあるのかということを学びたい。
posted at 16:48:12
A:対話の訓練。それは、哲学カフェと無関係に発生していいと思う。ただし、哲学カフェに求めるのは、立ち返れる場。
posted at 16:49:01
不明:どうしたって、主催する人のカラーになっていくと思う。
posted at 16:50:12
B:悩んでいる主催者と、悩んでいない主催者がいるかもしれない。その悩みを、オープンにするということが大事だと思う。
posted at 16:51:23
A:日本人は対話がへただと思う。政治参加の場合もそう。自分の考え方を相手に知ってもらうことを学ぶ場であってほしい。
posted at 16:55:21
F:「哲学」ではなく、「哲学する」という動詞で考えることもできると思う。
posted at 16:55:57
G:会社で哲学なんて言うことはできない。首だと言われそう。こういう場がなければ、孤独死していたかもしれない気もする。
posted at 16:57:39
H:会社で言えないようなテーマを積極的に取り上げてもらえればいいのではないか。
posted at 16:58:34
H:日常的な場面で哲学的な話ができるようになれば、こういう場をあらためて設ける必要もなくなるかもしれない。
posted at 16:59:10
B:日常に哲学があふれているよりは、やりたい人が自由にできる環境をつくれればいいと思う。

9名の方に参加していただきました。
他の哲学系のサークル・イベント等に参加されている方にもご参加いただき、
非常に有意義な会になったと思います。
この場を借りて参加していただいた方に感謝申し上げます。

小金井哲学カフェ やまもと

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