2012年3月30日金曜日

4月以降の小金井哲学カフェに関するお知らせ

小金井哲学カフェの進行役を務めておりました、やまもとです。
このたび、都合で東京を離れることになり、
4月からの小金井哲学カフェはこれまでの参加者の方に進行役を引き継ぐことになりました。

現在、新たな試みも含めて企画中です。
近日中に次回の哲学カフェについて案内できると思いますので、
新しい小金井哲学カフェにご期待ください。

2012年3月29日木曜日

3/18 第二回メタ哲学カフェ まとめ

遅くなりましたが第二回メタ哲学カフェのまとめです。
ツイッター上の投稿に適宜補足を加えてあります。


posted at 14:29:10
進行役:本日のテーマは「メタ哲学カフェ」。「哲学カフェは何を目指すのか」です。
posted at 15:04:14

1、哲学カフェは「おしゃべり」「雑談」と何が違うのか。
2、哲学カフェはどのように「哲学的」なのか。
3、哲学カフェはいま何を目指すのか。

この三点について話し合いたい。

まず、1から。

posted at 15:06:29
A:様々な哲学カフェに出たが、テーマの立て方に違いを感じる。原理原則を話し合うのが哲学カフェ。おしゃべりでは触れないことを話す。
posted at 15:12:18
A頭を使う。受身ではなく、異なる立場に身を置いて考える必要がある。それは世の中での訓練にもある。
posted at 15:13:54
B:哲学カフェの本質が何なのか見えない。議論の仕方も集まっている人数も違うのに、ひとくくりに哲学カフェとして論じていいのかわからない。
posted at 15:15:21
A:哲学カフェの場合は、学問的ではなく日常的な話題。専門的な用語ではなく、日常的な用語。学問的な哲学とは違う。ただ、そこからよりよい生活が見えるような気がした。
posted at 15:16:21
B:哲学道場は、哲学カフェに比べて縛りがゆるい。専門用語も飛び交う。議論が好戦的。武闘派。学生以上に、哲学が趣味の人が集まる。
posted at 15:19:38
B:大学のゼミとの比較も必要だと思う。そういうところとの区別から哲学カフェの意義をみつけられるのではないか。
posted at 15:20:35
不明:哲学カフェの背景には、コミュニケーションが欲しいという潜在的な欲求があるのではないか。切実な欲求がある。
posted at 15:22:11
進行役:哲学カフェとは何なのか、全く共有できてないという印象がある。
はじめにレクチャーがあって、その後、討論がある哲学カフェもある。「おしゃべり」でしかない哲学カフェもあるように思う。
posted at 15:23:46
A:カフェってつくと、「市民参加」というイメージがある。哲学書を読んだことがなくても、来て、何かを持ち帰ることができる場だと思う。
posted at 15:25:09
C:ひとりひとりが哲学をもっているが、あえて言語化する場がない。カフェ、道場、哲学塾、今日話を聞いて、それぞれに面白さを感じた。
posted at 15:26:30
B:哲学カフェの参加者は、あからさまな否定を避けているような感じがする。
posted at 15:27:12
B:れぞれの哲学カフェで、住み分け、それぞれのカラーが出たほうが面白いんじゃないか。選択肢が増えたほうが面白い。それぞれの場で輝ける人がいる。
posted at 15:28:17
D:議論の中で、激昂するのだってありじゃないか。日本に入って、日本風になっているんじゃないか。
posted at 15:29:52
E:道場の場合は、発表者によってその場のカラーが決まる。哲学の知識がをなくても、声が大きくて、演技力がある人がやっていきやすい場。
posted at 15:32:10
C:レクチャーをいれるやり方もある。生活実践と、自分の経験知と論理を、専門知から結びつけている。
posted at 15:34:31
進行役。自分の場合、哲学カフェを始めたきっかけは、最初は、学問を社会に結びつけていこうというアウトリーチという意識が強かった。
しかし、実際の哲学カフェに出てみると、参加者が鬼気迫る人生体験をぶつけてくる。いままでやってきた哲学が、実感がこもってないものに感じた。
哲学カフェを続けながら、哲学カフェとは何なのかがわからなくなってきている。共有しているエッセンスはあるのか。
posted at 15:38:00
進行役 2.哲学カフェは何が「哲学」なのかについて話を移したい。
posted at 15:38:28
進行役:専門用語を嫌うというスタイルが、哲学カフェではわりと統一されている。ただ、専門用語が必要というスタンスの人もいるだろう。
前回のメタ哲学カフェの内容を踏まえると、哲学を勉強したいと思って哲学カフェに来る人も多くいる。参加者のある考えは、あの哲学者に近いということを言ってあげてもいいのではないかという意見もあった。
posted at 15:40:17
進行役:、一方、ある哲学カフェでは、参加者の中に哲学に興味ある人は数人で、話をしたいという人の方が圧倒的に多かった。
posted at 15:41:00
A:少なくとも哲学を感じることができる場ではあるのではないか。テーマの与え方やファシリテーションの仕方も含めて。
posted at 15:41:57
F:ただの対話の場ではない。少しレベルの高い対話をしたい。ふつうのおしゃべりの場ではしない。考えるしかけをくれる場。
posted at 15:42:56
G:インタラクティブに話し合える場は、哲学カフェだけだと思う。サイエンスカフェはアウトリーチ的な視点しかないように思える。
posted at 15:43:49
H:社会学とは何が違うのか。本当に哲学ど真ん中のテーマを扱っているような哲学カフェはそんなにないのではないか。
posted at 15:44:18
E:「哲学」をどう定義するかという問題。問いかけて、答える、議論。ソクラテスが言ったことに近いのではないか。問うことによって哲学をしているのではないか。
posted at 15:45:25
E:哲学カフェを、社会学によってフィールドワークしたら面白いような気がする。
posted at 15:45:52
F:問答のスタイルが哲学的であれば、哲学的なのではないか。
posted at 15:46:06
D::わからないものをわかろうとするのが哲学なのではないか。わからないということをわかることが哲学だと思う。
posted at 15:47:25
A:社会問題にしても、「哲学」がないままに、議論がされていると言われる。その場合の「哲学」とは何なのか、それがわからない。論理的なものなのか。今日はそのヒントをもらいにきた。
posted at 15:48:56
I:一般的に、企業「哲学」、人生「哲学」のように言われる。それが哲学カフェの哲学なのか。対話という話もでた。哲学史上の大問題にストレートにぶちあたることなのか。
posted at 15:50:34
進行役:ふだんあまり考えないようなことについて、きっかけを与えたい。小金井哲学カフェでは一応そういう風に言っている。それはサイエンスカフェでも、演劇のワークショップでもやっている。じゃあそれらは哲学カフェなのか。
posted at 15:51:23
A:哲学は帰納的に結論を出すものではない。社会問題に対して、どう生きるのか。
それをベースに結論を出すのが、哲学だと思っていた。
posted at 15:53:12
A:人間とは何か。社会とは何か。震災以降、考えることが多くなった。さまざまな社会問題に対して、どう考えるか。
posted at 15:54:25
A:日常問題にあふれている諸問題は突き詰めていくと、哲学になる。それまで、哲学は形而上学的なものだと思っていた。リアルな日常の中でどうしていくかというところに結びついていく。
posted at 15:55:53
D:カントが、根本的な問題は5才の子供でもわかるといっている。命が大事だということが共通する根本的な価値観だと思う。
posted at 15:57:02
A:でも、その人間の命が大事だという価値観自体がわからなくなる。
posted at 15:57:26
E:人間の命が絶対条件かということ自体も問いになる。
posted at 15:57:49
E:「思想」と「哲学」との異同の問題ではないか。
posted at 15:58:20
G:科学にも限界がある。わからないことがある。そうした束縛条件のもとで、いま何をすべきかということを語ること。
posted at 15:59:57
G:哲学は、知識の体系。あるいは、ああでもない、こうでもないというディスカッションのダイナミクス。間違ったことを絶えずディスカッションによって修正していく場。
posted at 16:00:48
F:大学でやっている哲学は、かなりスタティックなものだと思う。社会との乖離がある。もどかしい。哲学にはダイナミックな側面がある。問うこと、疑うこと、哲学の根本にあるもの。
哲学カフェとは何かという定義よりは、そうしたダイナミクスを大切にしていけばいいのではないか。
posted at 16:03:36

進行役:こういうふうに、哲学カフェについて話し合う場すらなかったというのが現状だったと思う。定義やあるべき姿を定めたいわけではない。
posted at 16:07:45
B:道場は、福祉の面もある。哲学がどうしても必要だが、どこのカフェや塾にも受け入れられなかった人が集まる傾向がある。
posted at 16:09:03
D:哲学カフェは自分にとって希望になった。こうやって生きればいいという希望をもてた。
posted at 16:10:09
H:ダイナミックに動くところも、長期間変わらない本質的な部分も確認されるべき。両輪。
posted at 16:11:48
H:哲学書によって学ぶということもある意味ではダイナミック。議論をするということもダイナミック。実践に展開していくということもダイナミックともいえるのではある。
posted at 16:12:24
E:ダイナミックな哲学を芸術で表現したらどうなるかと思っている。
posted at 16:13:17
哲学も芸術も、普遍性を打ち立てて、それをぶつけ合う。多くの人とぶつかりあっていく。
posted at 16:14:45
進行役:ひとりで哲学書を読むことと、対話は何が違うのか、という意見も前に出た。あえて議論をすることの効率の悪さもあるだろう。わざわざ時間を費やして、話し合うのか。
posted at 16:15:48
E:「気づき」がある。どこに参加するにしてもそういう意義がある。
posted at 16:16:25
不明:本を読んだってそれはあるのではないか。
posted at 16:16:37
不明:人と話したほうが、気づきが大きい気がする。
posted at 16:16:54
A:議論の方が、具体的な体験を聞ける。原理原則とのつながりを感じられる。同じ対象に向かっても、表現の仕方も違う。
posted at 16:17:41
B:自分の思ったことが正しいのか確認する場。新しい話題を持ち帰ることもできる。
posted at 16:18:09
B:哲学には、うまい人、下手なひとがいるように思う。議論、討論することで、下手な人がうまい人のやり方を学ぶこともできる。
一人で哲学書を読むだけでは応用できなかったり、読み違えたりする。うまい人がやっているのをみて学ぶ。
インプットするだけではない、アウトプットする場でもある。

posted at 16:20:26
B:哲学カフェの場合、それぞれの人が意見を言うが、それが展開して、組み上がっていくということがないように思う。
posted at 16:21:30
B:あまり衝突はしないようにする。平均化させられているような気がする。
posted at 16:22:36
不明:ディスカッションでやりあって大丈夫な人もいるが、ひどく傷ついてしまう人もいるだろう。そういう人にも来てもらいたいという面もある。
posted at 16:23:53
進行役:議論と対話は違うのか。
posted at 16:24:27
哲学カフェ、止めても止めてもしゃべる人がいるため、出入り禁止があるという話も聞く。
posted at 16:25:46
A:「カフェ」であるから、なるべく公平に話すというスタイルをとっている。それに合わない人がいるということだろう。
posted at 16:26:45
寛容であることによって、不寛容であるのかもしれない。「カフェ」の規範に合わない人も受け入れられるのか。
posted at 16:27:38
D:哲学カフェは、平成のアカデメイアを目指しているのではないか。
posted at 16:28:36
F:哲学カフェでは、はっきりこれが何かと得るものはないかもしれない。題材によって、違うかもしれないが。何か持ち帰りたいという感覚がある。
結局、結論は出ないのが、哲学カフェ。
プロセスを楽しむのが哲学カフェ。こういう気づきもあったというのを持ち帰ることはできるだろう。
posted at 16:31:47
E:持ち帰る人が来るのだろう。持ち帰れない人は去っていくのだろう。
posted at 16:32:18
G:カフェという場は、肩の力を抜いた場。サイエンスカフェはワンウェイ。哲学カフェは民主的で、インタラクティブな場。それも一つのあり方。新たな気づきによって、新しい脳の回路が構成されれば、それはそれでいいのでは。
posted at 16:34:00
B:結論がでなくてもいいが、対立が欲しい。それがあれば、見えてくるものがあるような気がする。
posted at 16:36:09
B:2時間じゃ足りない。限界があるのではないか。
posted at 16:36:46

posted at 16:39:38
進行役:哲学カフェはこれからどこに向かうのか。一種の哲学ブームが来ているという実感がある。サンデル、や、とりわけ震災以後に顕著。
posted at 16:40:57
B:それぞれのニーズにあった哲学カフェほか団体ができればいいというのが一つの答えかと思うが。
posted at 16:41:32
進行役:今後、どういった形の哲学カフェができればいいと思うか。
posted at 16:41:56
B:哲学カフェごとにそれぞれのカラーがあればいいのではないか。小金井ならでは、のように。
posted at 16:42:31
不明:参加者主体となると、難しい面があるのではないか。色をつけづらいのではないか。
posted at 16:43:01
B:無色とはいえ、スタンスはある。さまざまな哲学カフェに分化していけばいいというのが一つの意見。
posted at 16:43:49
不明:地域性もある。関西ならもっとおしゃべりな人がくるだろう。
posted at 16:44:32
A:カフェと名付けた時点でスタイルを選んでいるのだから、それでいいのではないか。
posted at 16:45:39
F:哲学カフェが関東で出始めたのはわりと最近のこと。今後、試行錯誤の中で、色合いが出てくるのではないかということもある。
posted at 16:46:14
A:哲学カフェに求めるもの。ひとつは対話のスタイル。一人ではできない対話の体験。目的は、民主的な対話を日常的にできる場が欲しかったということ。考えることはなんでもよかった。
posted at 16:47:07
A:もうひとつは、日常的な次元で自分が考えていることをサポートする哲学を学ぶ場。自分の考えが、哲学の歴史のどこにあるのかということを学びたい。
posted at 16:48:12
A:対話の訓練。それは、哲学カフェと無関係に発生していいと思う。ただし、哲学カフェに求めるのは、立ち返れる場。
posted at 16:49:01
不明:どうしたって、主催する人のカラーになっていくと思う。
posted at 16:50:12
B:悩んでいる主催者と、悩んでいない主催者がいるかもしれない。その悩みを、オープンにするということが大事だと思う。
posted at 16:51:23
A:日本人は対話がへただと思う。政治参加の場合もそう。自分の考え方を相手に知ってもらうことを学ぶ場であってほしい。
posted at 16:55:21
F:「哲学」ではなく、「哲学する」という動詞で考えることもできると思う。
posted at 16:55:57
G:会社で哲学なんて言うことはできない。首だと言われそう。こういう場がなければ、孤独死していたかもしれない気もする。
posted at 16:57:39
H:会社で言えないようなテーマを積極的に取り上げてもらえればいいのではないか。
posted at 16:58:34
H:日常的な場面で哲学的な話ができるようになれば、こういう場をあらためて設ける必要もなくなるかもしれない。
posted at 16:59:10
B:日常に哲学があふれているよりは、やりたい人が自由にできる環境をつくれればいいと思う。

9名の方に参加していただきました。
他の哲学系のサークル・イベント等に参加されている方にもご参加いただき、
非常に有意義な会になったと思います。
この場を借りて参加していただいた方に感謝申し上げます。

小金井哲学カフェ やまもと

2012年3月17日土曜日

3/17 哲学カフェまとめ


第11回小金井哲学カフェ

テーマ:電車内での通話はなぜだめなのか。
posted at 15:06:41

A:携帯電話ができたときから、不思議だなとは思っていた。ふつうの対話と何が違うのか。
posted at 15:08:40
なんで禁止されているのかわからない。
posted at 15:09:19
C:個人的にはだめではないような気もする。なぜだめなのか、聞かれたときに答えられない。
posted at 15:10:11
D:なぜってのがわからない。どう説明したらいいのかわからない。
posted at 15:10:43

進行役:まず、「事実」を語ってみよう。
禁止されたのは何年前か。電車以外の他のところではどうだろうか。
posted at 15:13:10
B:事の発端はペースメーカーへの電磁波の干渉だったのではないか。
ただ、優先席以外の場所で電源を切れっていうのは、他の理由付けか。
posted at 15:14:35
海外では、べらべらしゃべっている人がいる。
posted at 15:14:59
C:デンマークでは、話していい車両が分けられている。
posted at 15:15:26
D:ペースメーカーになんかしらの影響を与えたという報告はない。
posted at 15:16:53

進行役:香港は飲食禁止。ケータイはべらべらしゃべっている。ドイツは、携帯OK。飲食も大丈夫。
posted at 15:17:54
A:日本もボックス席は大丈夫なものもある。駅弁もある。
posted at 15:18:43
B:昔の携帯電話は聞こえづらくて、大きな声でしゃべっていたのかもしれない。
飛行機、病院も、電磁波の関係で禁止されているのだろう。
posted at 15:20:22
A:タクシーはよし。バスはわからない。
posted at 15:20:39
D:ラーメン屋、カフェ、マックは大丈夫そうだ。
A:注意されるレストランはあるかもしれない。
posted at 15:21:33

進行役:では、ケータイで話しているのを聞いて、感情的に思う面についてはどうか。
posted at 15:22:12
C:中身が気になる。どんな話をしているのか。
posted at 15:22:30
A:「はしたない」という心情が入っているのかもしれない。
イヤホンの音漏れの延長線上か。自分の聞きたくないものを他人に聞かせてしまっている。
posted at 15:24:00
C:パトロールのためのものか。怪しい電話を管理するためだったのではないか。
posted at 15:25:39
B:独り言を横でぶつぶつ言われると不快、それに類するのか。
posted at 15:27:08
C:自分が思っていることと違うことが起こっていることへの違和感。
posted at 15:27:30
A;家電量販店やホームセンターで騒々しい放送が流れていて、それは許容できるのになぜなのだろうか。
posted at 15:28:30

進行役:それでは、電車内での通話を禁止することのプラス面についてはどうだろうか。
正当化できるならどのように可能だろうか。
posted at 15:29:34
B:抑圧することで、電話する人が何割か減っているだろう。
posted at 15:31:26
A:自分の縄張りを侵犯されることがない。
posted at 15:32:28
D:日本人特有と言われるものとして、恥の概念はどうか。
ルールは守られるべきであるという考え方がある。
posted at 15:32:53
A:静かになる。
posted at 15:33:55
B:携帯電話がうるさいことから生じる、乗客同士のトラブルを回避する。鉄道会社側の理由。
posted at 15:34:37
進行役:なぜ、ではトラブルが起こるような不快感は生じるのか。
posted at 15:35:14
A:鉄道会社のアナウンスがあれば、大義名分をもって、注意できる。
posted at 15:35:54
B:日本人は、通話がうるさかったときに鉄道会社に直接クレームを言ってしまう。
自己責任に多くを負っている国民性に対して、安全に安全を見込んだ基準を定める日本の国民性か。
posted at 15:38:36

進行役:では禁止することによるマイナス面はどうだろうか。
B:必要なときに電話できなくなる。電車の中の時間を利用できなくなる。
posted at 15:39:06
A:メールは許されているのになぜなのだろうか。
外国人はメールで連絡すればいいところでも、電話をする。
posted at 15:40:08
B:通話専用車両があったらどうか。サラリーマンなら多少料金を上乗せされても乗るのではないか。
posted at 15:43:34

進行役:そもそも、なぜ、電車内の携帯電話を不快に感じるのか。
posted at 15:45:31
C:酔っぱらいの方が、不快に感じる。
posted at 15:46:26
B:合理的な理由が見当たらない。
posted at 15:46:37
A:縄張り、期待することがキーワードか。常識みたいなところからの逸脱への違和感。
実害はないと思うが、反社会的な行為と認識することによって不快と感じるのでは。
posted at 15:47:29
D:横浜市営地下鉄は、全席優先席。何車両かに1つ、最優先席。
モラルがくずれているところがあるのではないか。
posted at 15:49:45

進行役:電車内での普通の会話にうるさいと思ったことはあるか。
posted at 15:59:12
A:自分の関心あるテーマならいいかも。
posted at 16:00:19
B:会話なら許される。一方通行の話に、不快感を感じているのでは。
posted at 16:00:59
進行役:ひとりごとには、同じものを感じるか。
D:ひとりごとは、自分の世界で完結している。
posted at 16:03:31
C:共同体から脱している感じへの違和感。車両の中で一体感をもっている。
posted at 16:06:11
A:電車の外部の空間と通じているのがよくないのでは。それが不快に感じるのではないか。
posted at 16:06:58
電車内では他の人を意識して、一種の共同体ができているのでは。
通話という外部とのつながりによって、共同体が破壊されているように思える。共同体外のよそものと話している印象を受ける。
posted at 16:07:36
共同体との関係が、なぜ日本人は電車内での通話を嫌うのかということの理由にもなるかもしれない。
posted at 16:09:00
B:車両と車両との間、その外部との間に境界ができている。
posted at 16:09:53
A:メールの場合は、他者から外部とのコミュニケーションをとっているようにはみえない。だから大丈夫なのではないか。
posted at 16:10:37
C:電車内の人が、外の人に答えて手を振っている。電車が発車して別れたあと、その人がどう振舞うのか気になる。
posted at 16:12:43
進行役:ふつうの意味での共同体とは違うのは、横の人とのつながりがないこと。暗黙の共同体。
posted at 16:14:10
E:その場合の共同体の規範はどこから来ているのか。浴びるようにアナウンスを受けている。
posted at 16:17:07

タクシーはどうか。私的な空間になる。
posted at 16:18:22
B:明文化しづらいし、根拠はないのではないか。しかし、そこに帰属意識がある。
posted at 16:21:17
D:もし車内での通話をルールとして禁止しなかった場合、どうなっていただろうか。
posted at 16:23:01
B:ルールがあろうとなかろうと、抑制する傾向になったのではないか。
posted at 16:24:24
A:街中でイヤホン、マイクをつけて話している人がいる。違和感がある。
posted at 16:30:09

進行役:電話と対面でのコミュニケーションはどう違うのか。
posted at 16:30:41
B:電話は、不完全なコミュニケーション。
posted at 16:33:24
進行役:対面でのコミュニケーションは完全なものか。書面の方が伝わるという人もいる。
posted at 16:33:58
B:テレビ電話も普及していない。望まれていない。
posted at 16:37:14
本当に重要なときに通用するかが基準か。
posted at 16:38:10

今日はありがとうございました。4名の方にお集まりいただきました。
posted at 16:44:07


2012年3月7日水曜日

3/18(日)にも哲学カフェを行います!

3/17(土)にも哲学カフェを行います。
詳しくは下の記事をご覧下さい。

3/18(日)に哲学カフェを行います。
どなたでもお気軽にご参加下さい。

日時:3/18(日)15:00-17:00

テーマ:第二回メタ哲学カフェ
「哲学カフェは何を目指すのか」

「哲学カフェ」についての「哲学カフェ」が
「メタ哲学カフェ」です。
第二回のメタ哲学カフェでは、
前回出た意見を踏まえつつ、
「哲学カフェは何を目指すのか」という問いを軸にして
みんなで考えて行きたいと思います。

哲学カフェを運営されている方、批判的な方、
参加者の方など、どなたでもご自由にご参加ください。
はじめて哲学カフェに触れるという人でも大歓迎です。

場所:小金井アートスポット シャトー2F
(地図は「アクセス」のページをご覧ください)
料金:飲み物代のみ
(併設のカフェで、1オーダーをお願いしています)

参加申し込みは以下のフォームよりどうぞ。

3/17に哲学カフェを開催します。

3/17(土)15:00-17:00に哲学カフェを開催します。
哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

日時:3/17(土)15:00-17:00

テーマ:リフレーミングを体験しよう
「電車内での通話はなぜダメなのか?」

リフレーミングとは、自分の考えとは違う角度からものを見ることで、
問題に対する視野を広げる手法です。

今回は、「電車内での通話はなぜダメなのか?」という話題に関して、
実験的にワークショップの手法を用いてリフレーミングを行い、
対話を行ってみたいと思います。
自分の考えていたことと違う角度から物事を考えることで、
新たな気づきがあるかもしれません。

場所:小金井アートスポット シャトー2F
(地図は「アクセス」のページをご覧ください)
料金:飲み物代のみ
(併設のカフェで、1オーダーをお願いしています)

参加申し込みは以下のフォームよりどうぞ。