2012年12月2日日曜日

12/9(日)に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

テーマ:「喧嘩について」

喧嘩は、できれば避けるべきだという考え方は、ごく自然な考え方だと思います。
仲違いの原因になりますし、場合によっては怪我すること・犯罪になってしまうこともあります。
しかし、喧嘩したことで、かえって結びつきが強くなることもあります。

なぜ喧嘩になってしまうのか、「より良く喧嘩する方法」はあるのか、話合いたいと思います。

・日時:12/9(日)18:00-20:00
 ※天候やスタッフの急病等で急遽中止する場合があります。
 中止する場合は、twitter、本ブログでできるだけ早く告知します。
 お出かけの前に、twitter、本ブログを再度確認いただくことをお勧めします。

・場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)

・料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年11月30日金曜日

11/25の往復書簡哲学カフェのまとめ

11/25に行われた、哲学カフェ「幸福は人生で一番価値があるものだろうか?」のまとめです。

びわこ哲学カフェとの共催で、びわこ哲学カフェからの質問について話し合いました。書簡形式でのまとめています。

☆---------

『びわ子とコガネイ氏の往復書簡』


びわ子さんへ、

あなたからのお手紙、拝見しました。

わたしからの疑問について、丁寧に回答していただきありがとうございました。

そして、あなたからの質問である「幸福は、人生で一番価値があるものだろうか?」について、私なりに考えてみました。

質問に対して取り得る答えは、「はい」、「いいえ」、「どちらでもない」の3つだと考えました。

もし、「いいえ」と答えるのなら、なぜ「いいえ」となるのか考えてみました。
すなわち、幸福よりも価値があるものが存在するかどうかです。
「幸福よりも価値がある」と考えられるものがいくつか思い浮かんだのですが、よく考えるとそれらはおおむね「幸福感を与えるもの」と言い換えても差し支えないものばかりでした。
もう少し丁寧に言うと、幸福を上位概念とすると、価値が高いと思われたものは幸福の下位概念と言えそうです。
結局、思いつく限りにおいては、答えが「いいえ」となる理由は見つかりませんでした。

次に、「どちらでもない」という答えはあるのか考えてみました。
質問を少し変形して「Xが一番価値がある」という命題にしたとき、これが幸福の価値と無関係に常に正しくなる「X」は存在するかということについて考えてみました。
思い浮かんだ命題のひとつは「生きていることが一番価値がある」というものでした。この命題が常に正しければ、幸福が一番の価値か否かはほとんど無意味のように思えます。
確かに、嬉しいことや楽しいことだけでなく、悲しいことや嫌なこともひっくるめて、この世に生を受け生きていること、それ自体は大変素晴らしいことだと思います。
一方、「生きていることが一番価値がある」という命題が常に正しいことへの反証があることに気づきました。
たとえば、不遇な境遇のために不満を感じながら生きている人は、経験・獲得できたかはともかく、単に生きていることよりも価値が高い別のものがあると考えているだろうと推測することに、特に不都合はないと思います。
ポジティブなものでは経済的に不自由のない暮らし、ネガティブなものでは自殺、すなわち生きているより死んだほうがマシ、のようなものが想定できます。
もちろん、不遇な境遇をバネに、言い換えればそこに生きる価値を見出している人もいると思います。
しかし、「生きていることが一番価値がある」とは必ずしもいえないことは、上記のような反証(厳密なものではありませんが)を1つ挙げることができれば十分だと考えます。
他の「X」を考え付いたり、または別のアプローチで「どちらでもない」と答えるべきだとする論理付けは、私が考えた限りでは思いつきませんでした。

結局、びわ子さんの質問の「幸福は、人生で一番価値があるものだろうか?」に対して、取り得る答えが「はい」「いいえ」「どちらでもない」の3つしか取り得ないということを前提にした場合、「はい」とすると不都合になるようなことも思いつかなかったことから、質問に対する答えは「はい」となりました。

ここで、改めて、何が幸福を感じさせるのかについて考えてみました。

一般的に、幸福感を与える要因として、経済的な豊かさ、健康であること、良好な人間関係、平穏な生活が送れていることなどが挙げられると思います。
経済的な豊かさについて、大抵の人は裕福になれば幸福感は増すだろうと思われます。
しかし、貧しくなった場合、必ず幸福感が減ずるかというと、そうとも言い切れないようにも思いました。
たとえば、貧しくなったけど、金持ちの頃には感じられなかった周囲の支援から得られる人間的な温かみを感じられるようになり、その結果、逆に幸福感が増すこともありえるかも知れません。
この例で想定しているのは、「幸福は、いくつかの要因に因数分解でき、それぞれの要因は増したり減ったりし、それらの要因を総合して得られた結果が増えていれば幸福感が増す、逆に減っていれば幸福感が減る」ようなイメージです。

しかし、このようなイメージも妥当ではないようにも思えてきました。

改めて経済的状況を軸に、ある例を考えてみます。
知人と良好な交友関係がある健康面でも問題のない資産家が、ある日投資に失敗して資産が平均的世帯と同じくらいに減ってしまいました。
しかし、資産が減った後も、特に悲観することもなく周りの人と以前と変わらない交流をし、身体的・精神的健康にも変わりはありませんでした。
その元・資産家は、資産が減ったことで、相続争いや犯罪に巻き込まれるような心配が減ったことで、以前よりも幸福になったと感じるようになりました。
この例は、「幸福要因の総合結果説」では説明できません。
少し都合よく話を組み立てたかも知れませんが、私が言いたいのは、幸福の価値を考える場合、幸福を構成する要因や、それらの増減などの想定は、どうやら必要なさそうだということです。

なぜ、質問に対して取り得る各回答の詳細検討や幸福を感じさせるものの検討のようなまわりくどい検討をしたかというと、びわ子さんからの質問「幸福は、人生で一番価値があるものだろうか?」に対して「はい」と答えることになったことに、違和感を感じたからです。
びわ子さんは、質問を言い換えて「私たちは、幸せでなければらないのだろうか?」と問い直しています。
この問い直しの背景として、「世の中には、幸せこそが最高の価値である、幸せでなければならない」ような風潮があるらしい、そのような強迫観念は幸福を妨げることになるかも知れないことを示唆していました。

私も、おおむねびわ子さんの示唆に対して同感です。
幸せこそが最高の価値であるいう考えに息苦しさを感じるのであれば、その状態は幸福な状態とはいえないと思います。
すなわち、幸せこそが最高の価値でなくてもよいという考え方のほうが、その人にとってより価値があるといえます。
これは、とりもなおさず「幸福は、人生で一番価値があるものか?」という質問の回答が「いいえ」となることになるでしょう。
「人生で」とは「常に」と言い換えることができ、そして、上記のとおり、幸福よりも高い価値の状態が一瞬でも存在する場合があるからです。

以上、さまざまに考えを巡らせましたが、私の幸福の価値の捉え方は「その人が幸福を感じる状態が、その人にとって好ましい状態だ」というものです。
これは、びわ子さんから示された「判断説」に近い考え方だと思います。
そして、先ほどは、びわ子さんの質問の答えは「はい」となると述べましたが、「はい」とすると不都合となる場合も考えられたため、前言撤回します。
最終的には、4つめの回答「はい、いいえのどちらもありえる」という回答が、今のところ最も妥当な回答ということになりました。

最後に、これまでおおむね「判断説」を肯定する考えを述べてきましたが、無条件に「判断説」を支持できるわけではない事例も考えられたことを記して筆を置きたいと思います。

・三歳児が「自分は幸せ」と感じるのなら、その三歳児は「幸せ」だといえるのか。三歳児が経験したこと・獲得した知識はかなり限られており、「判断説」のみで本人の幸福感を捉えるのは妥当ではないのでないか。

・非常に困窮している人に生活保護を勧めても、「自活することに生きる価値を見出している。この状態で十分幸せだ」として、保護を固辞する場合。生活保護を受け衣食住を整えて生活再建するのが誰の目からみても好ましいと考えられるのに、本人の幸福だというならそれもアリか、として結局自主性に任せてしまう場合。

・暗殺者養成機関で「敵は抹殺することが善」だとして育成された暗殺者。暗殺は報国となると信じており、そこに幸福感を感じる暗殺者。道徳抜きで「判断説」のみに基づいて幸福の価値を捉えるのは妥当といえるのか。


コガネイ

---------☆

2012年11月20日火曜日

11/25(日)に哲学カフェ「びわ子とコガネイ氏の往復書簡」を開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

テーマ:「幸福は人生で一番価値があるものだろうか?」

「幸福」に関する疑問について問いかけたびわ子さんから、「幸福は人生で一番価値があるものだろうか?」、あるいは、「私たちは幸せでなけれなならないのだろうか?」という新たな疑問が示されました。

今回は、びわ子さんからの上記の疑問について、考えたいと思います。

※これは、「びわ子とコガネイ氏の往復書簡」と題して行っているびわこ哲学カフェとの往復書簡カフェです。小金井哲学カフェからびわこ哲学カフェへの問いかけはこちら、それに対するびわこ哲学カフェからの反応はこちらです。

往復書簡の形式を取る都合上、twitter配信は行いません。

日時:11/25(日)18:00-20:00
※天候やスタッフの急病等で急遽中止する場合があります。
 中止する場合は、twitter、本ブログでできるだけ早く告知します。
 お出かけの前に、twitter、本ブログを再度確認いただくことをお勧めします。
場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ(はなの)、びわこ哲学カフェ(やまもと)

2012年11月3日土曜日

11/16(金)に哲学カフェを開催します

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 11/16(金) 19:00-21:00

・テーマ :「生理的とは」

  生理的に、無理・嫌い・理解出来ない・受け付けない・・・

  理屈からではない本能的な言い分をあらわしているようですが、
  肯定的な意味で使われないのはなぜでしょう?
  そもそも生理的であることに理屈は含まれていないのでしょうか?

  今回は生理的とは何かについて哲学します。


※ 今回、ツイッター配信はありません。
テーマにより、外部配信(ツイッター)を控える場合があります。

※ 天候・スタッフの急病等で急遽中止する場合は、twitter、ブログで
  できるだけ早めに告知します。お出かけの前に再確認をお勧めします。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、
      ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom  http://www.yadocarism.com/cafe.html
      東京都小金井市前原町3-40-20-106
      ( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

☆ 2012年9月10日からお店の定休日が金曜日になりましたが、金曜小金井哲学カフェはこれまで通りの開催です。
  http://cafe.yadocarism.com/?eid=107


参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年10月29日月曜日

びわ子さんへの書簡(10/28の往復書簡哲学カフェのまとめ)

10/28(日)の哲学カフェ「びわ子とコガネイ氏の往復書簡」において、「幸福を感じるとき」をテーマに話し合った内容をまとめました。今回の話し合いで出てきた4つの疑問・論点を、びわ子さん(びわこ哲学カフェ)に尋ねたいと思います。

■コガネイからびわ子さんへ意見を聞きたい「幸福」に関する疑問・論点
・幸福は、幸福を感じる主体(本人)の主観のみに基づくと言い切れるか? 
 他人の目・判断の影響はあるのか?
・幸福を感じる主体が感じる/体験する快と不快を総合的に勘案して、快が不快を上回った
 状態が「幸福を感じるとき」といえるか。
・快/不快と異なる要因が幸福感をもたらすことは考えられないだろうか。
 あるとすれば、それは何か。
・幸福又は幸運の時間軸の関係。幸福は長いスパンで観た感覚、幸運は瞬間瞬間の体験?

以下、参考情報として、10/28の対話のなかで出てきた事例とその概要を示します。

(1)死の間際で、手厚い看護を実感した患者が「私は幸福だ」と言った場合。
 身体的には不快だが、死に際し医師や家族のサポートで精神的に満たされたため
 (≒快を感じたため)それらを総合して、幸福だと表現したケース。

(2)本人は幸福だと感じているが、周りから本人に不幸を感じさせる可能性のある情報を
 伝えた/伝えなかった場合。
  例1:子供の頃の生活が良いと思っていたけど、後年になって当時の友人から「あの時、
     実はこっそりいじめてた」と告白された場合。
  例2:終末期の患者に、表面的には看護はしつつ、敢えて見込みのある治療法を伝え
     なかった場合(看病の負担から早く抜けたいため)。
  例2’:患者が精神的に非常に弱いため、「手遅れだ」と敢えて伝えない方が患者の精神
     負担の観点で良いと判断した場合。

(3)幸福を感じるときは、現状の平常状態からポジティブ(または快)の方向へ大きく上昇
 したとき?
  例1:昇進した、事業に成功した等。客観的にみても、当人の状況がポジティブな方向へ
    上昇したとき。
  例2:途上国の悲惨な生活状況を描いた映画を観て、自分がいかに恵まれた生活を
    しているか実感したとき。
    なお、客観的にみて本人の状況(経済状況、人間関係等)に変化はない。

(4)幸福感は、自分が幸福だと感じれば、他人/国が干渉すべきものではない?
  例1:ドラッグで多幸感を得ていても、個人的に良いと考えるならそれはそれでよい。
    (その後に生じるかもしれない問題(刑罰等)は、別の話。自己責任。) 
  例2:振り込め詐欺に会った老人に聞くと「親身に話を聞いてくれたので犯人を厳しく
    責める気はない」(≒幸福だった?)

(5)幸福度は数値化できるか。国民総幸福量を国政の政策の指標にする動きがあるが、
 このようなことは可能and/or意味があるのか。そもそも個人個人で幸福度の差異が
 あったり、それらの合計や平均を取ることは可能なのか。

(6)過去の経験+現在の体感+(予測しうる範囲での)未来の予測を総合して、幸福か否か
 判断すれば済む話か。
 他人から、過去または現在の潜在的なネガティブ面を殊更強調されれば、それに影響
 される可能性がある(霊感商法etc.)。
 すると、過去+現在の経験・体感は他人に操作されると言えるので、自己の過去+現在+
 未来による総合判断は、必ずしも正確・適切だとは言い切れないのではないか。

2012年10月21日日曜日

10/28(日)に哲学カフェ「びわ子とコガネイ氏の往復書簡」を開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

テーマ:「幸福を感じるとき」

幸福は人にとってとても大事なものだと思います。
しかし、いつ幸福を感じるのか、幸福から得られるインパクトは人や状況により様々でしょう。
今回は、幸福について話し合いたいと思います。

なお、今回はびわこ哲学カフェ(http://biwako-philosophycafe.blogspot.jp/)と共同開催です。
形式は往復書簡のように行います。
小金井哲学カフェで話し合った内容や新たな浮かんだ疑問を簡単にまとめて、
それをびわこ哲学カフェに送付します。びわこ哲学カフェで、私たちからの
送付内容をきっかけに話合いを行います。
往復書簡の形式を取る都合上、twitter配信は行いません。

日時:10/28(日)18:00-20:00
 ※天候やスタッフの急病等で急遽中止する場合があります。
  中止する場合は、twitter、本ブログでできるだけ早く告知します。
  お出かけの前に、twitter、本ブログを再度確認いただくことをお勧めします。
場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ(はなの)、びわこ哲学カフェ(やまもと)

2012年10月2日火曜日

10/12(金)に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 10/12(金) 19:00-21:00

・テーマ : 「相談したくない」

  相談できないこと、聞いて欲しくない話があるといいます。
  その理由や気持ちを事例から読み解きながら
  相談の限界について哲学的に掘り下げてみたいと思います。

※ 今回、ツイッター配信はありません。
テーマにより、外部配信(ツイッター)を控える場合があります。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、
      ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom  http://www.yadocarism.com/cafe.html
      東京都小金井市前原町3-40-20-106
      ( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

☆ 9月10日からお店の定休日が金曜日になりましたが、金曜小金井哲学カフェはこれまで通りの開催です。
http://cafe.yadocarism.com/?eid=107

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年9月29日土曜日

明日9月30日の哲学カフェについて

開始19時、終了21時で予定していましたが、台風接近に伴い終了時間を
繰り上げて早めに切り上げる可能性があります。

また、遠方から参加される方など、交通機関の乱れが心配な方は、適宜
途中退席していただいて構いません(退席の際にご自身の飲食代をお店
にお支払いください)。

2012年9月16日日曜日

9月30日の夜に開催します

開催延期と申し上げておりました哲学カフェ「大人とは誰か」の新しい日時が決まりました。

開催日は当初の予定通り9月30日(日曜)とし、
時間のみ 19:00-21:00 に変更いたします。


・日時  : 9/30(日) 19:00-21:00

・テーマ :「大人とは誰か」

大人とは、どういう人のことを指すのでしょうか。
法律で定められた年齢以上の人?物事を理性的に判断できる人? 
定義はいろいろ考え付きますが、あるケースを想定した定義が別のケースにも
あてはまる場合もあればそうでない場合もあるでしょう。
今回は、そんな「大人」の定義や、それにまつわる話をしたいと思います。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、
               ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom(http://www.yadocarism.com/cafe.html
               東京都小金井市前原町3-40-20-106

ご参加の方は、9/14の投稿にある「9/30 小金井哲学カフェ出席表」にご記入ください。
皆様のご参加をお待ちしております。

開催延期のお知らせ

9月30日(日曜)に予定しておりました哲学カフェ「大人とは誰か」を都合により延期させていただきます。
誠に申し訳なく、お詫び申し上げます。

開催日につきましては、後日あらためてお知らせいたします。
いましばらくお待ちください。

取り急ぎお詫びとご連絡申し上げます。

2012年9月14日金曜日

9/30に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 9/30(日) 15:00-17:00

・テーマ :「大人とは誰か」

大人とは、どういう人のことを指すのでしょうか。
法律で定められた年齢以上の人?物事を理性的に判断できる人? 
定義はいろいろ考え付きますが、あるケースを想定した定義が別のケースにも
あてはまる場合もあればそうでない場合もあるでしょう。
今回は、そんな「大人」の定義や、それにまつわる話をしたいと思います。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、
               ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom(http://www.yadocarism.com/cafe.html
               東京都小金井市前原町3-40-20-106

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年8月28日火曜日

9/7(金)に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 9/7(金) 19:00-21:00

・テーマ :「哲学したくなる時」

  それはどのような時ですか?
  哲学へ向かう機会について考えてみましょう。

※ 今回、ツイッター配信はありません。
テーマにより、外部配信(ツイッター)を控える場合があります。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、
      ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom  http://www.yadocarism.com/cafe.html
      東京都小金井市前原町3-40-20-106
      ( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年8月23日木曜日

8/26に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 8/26(日) 15:00-17:00

・テーマ :「人はなぜ冒険するのか」

平穏無事に過ごせれば、それに越したことはないのですが、人は時には冒険に踏み出すことがあります。未開の地への探検も冒険ですし、命綱を付けずに高所を渡るのも冒険です。日常的な場面では、転職も冒険と言えるかもしれません。

今回は、なぜ人は冒険するのかについて話し合いたいと思います。

・料金 : 参加費は無料です。会場は普通のカフェですので、
             ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom(http://www.yadocarism.com/cafe.html
              東京都小金井市前原町3-40-20-106

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年7月29日日曜日

8/9に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 8/9(木) 19:00-21:00

・テーマ :「年齢相応」
  年齢への相応しさとは?
  そもそも、ここでの年齢とは?
  哲学的に踏み込んでみましょう。

※ 今回、ツイッター配信はありません。
テーマにより、外部配信(ツイッター)を控える場合があります。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、
      ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom  http://www.yadocarism.com/cafe.html
      東京都小金井市前原町3-40-20-106
      ( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年7月23日月曜日

7/29に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 7/29(日) 15:00-17:00

・テーマ :「趣味について」

趣味の話は、公私の両方の場面でよく出る話題です。なかには、無趣味という人もいます。
趣味がないというのは、どうもネガティブに捉えられているようです。また、「高尚な趣味」
などのように、趣味に貴賎があるように見受けられます。
今回は、趣味について話し合いたいと思います。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : 麻よしやす(http://r.goope.jp/asa44/about)
東京都 武蔵野市吉祥寺本町2-7-13 レディーバードビル3F
吉祥寺駅北口徒歩7分、吉祥寺通りの第一ホテルの裏通りにあるレディーバードビル3Fです。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年7月6日金曜日

7/13に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時  : 7/13(金) 19:00-21:00

・テーマ :「心の貧富とは」

様々な場面で評価される心。心にも貧富は有るとされます。
貧しい心・豊かな心とはどのようなものでしょうか。
哲学してみましょう。

心の貧富やその評価に纏わる逸話などもお待ちしています。

※ 今回、ツイッター配信はありません。
心や悩み等に関わるテーマでは、外部への配信(ツイッター)を控える場合があります。

・料金 : 参加費は無料です。 会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom  http://www.yadocarism.com/cafe.html
      東京都小金井市前原町3-40-20-106
      ( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年6月22日金曜日

6/30に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時:6/30(土) 15:00-17:00

・テーマ:「お金のない世界を想像(創造)してみる」
お金(貨幣)は現代生活に必要不可欠なものとなっています。しかし、お金が存在することによる弊害があるようにも思います。

今回は、お金という概念がなぜ必要なのか、逆にいうとお金という概念がなくても人々の生活は成り立たせることが可能か(法制度、人々の価値観の変化、価値交換のための新テクノロジーなど)、貨幣経済に代わる新しい仕組みを考えたいと思います。

・料金
参加費は無料です。会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場
麻よしやす(http://r.goope.jp/asa44/about
東京都 武蔵野市吉祥寺本町2-7-13 レディーバードビル3F
吉祥寺駅北口徒歩7分、吉祥寺通りの第一ホテルの裏通りにあるレディーバードビル3Fです。

2012年5月26日土曜日

6/8に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時 : 6/8(金) 19:00-21:00

・テーマ:「心の病とは何か」
医学や心理学に依らない見方は可能でしょうか。心の病の正体を哲学的に探ってみましょう。

※ 今回、ツイッター配信はありません。
心や悩み等に関わるテーマでは、外部への配信(ツイッター)を控える場合があります。

・料金 : 参加費は無料です。会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場 : カフェ broom & bloom   http://www.yadocarism.com/cafe.html
東京都小金井市前原町3-40-20-106
( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)


2012年5月13日日曜日

5/19に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日時:5/19(土) 15:00-17:00
 ※JR中央線工事のため、大幅な列車運休が予定されています(http://www.jreast.co.jp/suspend/index.html)。余裕を見て会場にお越しください。

・テーマ:「空気を読むのは得意ですか?」
公共の場でのマナーやビジネススキルと関連して話題になる「空気を読む」という行為。
「空気を読む」ことについてのみなさんの意見を聞きつつ、さらに効用やリスクについても考えてみたいと思います。

・料金
参加費は無料です。会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽食等をオーダー(各自支払い)してください。

・会場
麻よしやす(http://r.goope.jp/asa44/about
東京都 武蔵野市吉祥寺本町2-7-13 レディーバードビル3F
吉祥寺駅北口徒歩7分、吉祥寺通りの第一ホテルの裏通りにあるレディーバードビル3Fです。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)


2012年5月3日木曜日

5/11(金)に哲学カフェを開催します。

哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

※今回の会場もシャトー2F(ニーエフ)ではありません。
ご注意ください。

・テーマ:「悩む」とはどういうことか?   進行:佐土原
・日時 : 5/11(金)19:00-21:00
・場所 : カフェ broom & bloom   http://www.yadocarism.com/cafe.html

      東京都小金井市前原町3-40-20-106
      ( JR中央線、武蔵小金井駅南口より徒歩5分 )

・参加費 : 参加費は無料です。会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽
食等をオーダーしてください。
・お問い合わせ: koganei.philosophycafe@gmail.com

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年4月22日日曜日

4/22 第13回小金井哲学カフェまとめ

第13回小金井哲学カフェ

進行役:本日、小金井哲学カフェ、新年度初回は場所を変えて、13時からです。
posted at 12:51:55
本日のテーマは「働くことは好きですか?」です。
posted at 13:03:42

A:働くのは嫌い。利益を上げるってことが嫌い。
学生の時に、お金を儲ける人に対して、否定的だった。その傾向が今でも抜けない。
posted at 13:06:48

B:好きなのか嫌いなのか、自分では判断できていない。
ただ、仕事が好きか、ではなく、余暇が嫌いかという質問にすると、嫌いではない。
posted at 13:08:52

C:最初は楽しいのだけど、楽しくない要素が混じってきて、嫌いになっていく。
嫌いになるけれども、それはあくまで「結果的」なもの。
posted at 13:10:19
C:一方で、楽しかったら仕事じゃないという人もいる。
posted at 13:11:06

A:利潤追求の労働は、弱者を必要としているのではないか。それはお米をつくるといった本来の労働ではないのではないか。
稼いだ人がいるということは、どこかに稼げていない人がいるということだろう。
posted at 13:13:44

C:どの職種であっても、その構図からは逃れられないのか。
posted at 13:14:38
A:利潤追求型でない社会を求めている経済学もある。
posted at 13:16:02

C:楽しくない仕事が必要悪としてあった方が良いということもあるのではないか。
posted at 13:17:55
A:哲学カフェに来ているような人は、資本主義を忌避しているような人が多いのではないかという印象がある。
posted at 13:18:58

進行役:「働く」の反対語は「働かない」だろう。仕事の反対は、「余暇」でよいのか。
posted at 13:20:11
例えば、社会を善くしたいと思って「働いている」人もいる。
posted at 13:21:03
C:労働と余暇にはっきりコントラストがあるあり方と、そうではないあり方があるのではないか。
posted at 13:22:09
B:上司と部下の関係が土日でも続くということがあった。一人でいたいというときもあるのに。土日もゴルフで接待している。
posted at 13:24:18
A:仮にずっと休みだったらどうか。自分だったらどうしたらいいかわからなくなる。
posted at 13:25:21

C:メリハリをつけるために仕事があった方がいいかもしれない。
posted at 13:25:46
仕事のうち楽しい部分は、創造的な部分にある。何かを生み出している感覚があるところ。
posted at 13:27:38
A:いろんな人と対面できて楽しい。ということもある。
posted at 13:28:25
進行役:一方で楽しくない部分もある。ノルマ達成のために改革案を練るとか。
C:ひとつの仕事のうちに、これだけやっていたいというタスクと、これはいやだというタスクが混じり合っている。
posted at 13:29:17
進行役:例えば、ミュージシャンはどうか。お金儲けはマネージャーに任せて、自分の好きな作曲活動に打ち込んでいるような例。理想的にみえる。
posted at 13:30:44
C:実際聞いてみると違うかもしれないが。生み出す苦しみというものもあるだろう。
posted at 13:31:15
進行役:しかし、どんなに苦しくてもその仕事が嫌いだとはならないのではないか。
posted at 13:32:02
C:仕事に対する「嫌い」の中に、ぜいたくな嫌いとそうではない嫌いがある。
posted at 13:32:26

A:退職して3日間、何をすればいいのかわからず、ぼーとしていた時間があった。
posted at 13:34:53
B:働いていない間、一週間ずっと寝ていることができた。楽しい夢を何度も見られた。
posted at 13:36:57
A:個人的には、やることがないのは、耐えられない。
posted at 13:38:03
C:ヨーロッパの夏休みは何十日間もある。もてあまさない人もいるのかもしれない。
posted at 13:38:59
A:仕事という悩みがあった方が、生きているという実感をもてるような気がする。
posted at 13:40:15
B:労働のための「余暇」という位置づけがある。結局、余暇の間も仕事のことを考えている。それは本当の意味での「余暇」ではないという考えもある。
ほんとうの「暇」がないから、社会的な関心が起きないのではないか。原発もしかり。
posted at 13:55:19

A:昔のように上司の命令を断れないような関係はなくなってきたのかもしれない。
C:会社が、プライベートを浸食する。「仕事が好きだ」という方向にもっていこうとしているのは会社でもある。
posted at 14:01:34
D:一方で会社の時間であっても、プライベートが入ってくる。仕事中にユーチューブを見たり。技術的に可能になっていることもある。
posted at 14:05:18
A:労働自体を楽しみに変えていくような、新人類に期待している。
posted at 14:06:55
D:仕事が高度化して、専門的になってきている。創造的な部分だけに重きを置くような仕事のあり方ができてくるのではないか。
posted at 14:08:10
進行役:機械化しうる部分は機械化されていくだろう。
接客業ですら、機械化していいという発想がありうる。
posted at 14:10:59

B:これからの第三次産業では、美しさ、芸術的なものに対する価値付けが増していくのではないかという考えがある。
posted at 14:14:49
ただ、AKBのように、選挙型で数字で評価されるという考えにも抵抗がある。
posted at 14:16:50
進行役:例えば、接客の人間的な面に、欧米のようにチップを出す習慣が生まれればどうか。
D:チップを払うというだけならいいが、それがシステム化される過程で問題が生じるのではないか。
posted at 14:18:14
B:チップという社会的な評価はあっていいが、各人が売上げで評価されることで、職場での発言権に差が出てくる危険性があるだろう。
posted at 14:22:00
A:行為自体を評価するような社会ができればいい。
C:プロセスも評価するような社会ともいえる。
posted at 14:25:35
進行役:成果主義をやめた会社もあると聞く。自分の成果を上げるために、同僚の足を引っ張るということが問題になっていた。
posted at 14:27:50

B:評価のあり方も様々である。例えば、大きく2つの評価のあり方がありうる。評価の基準を複雑化することによる方法。もう一つは徹底的に評価をオープンにする方法。
posted at 14:33:54
進行役:ボーナスは業績での評価だが、昇格は人格も含めた総合点でという考え方の会社もある。
posted at 14:36:40

E:何のための評価なのかという話もある。
利益追求の前に、会社の理念がふきとんでしまうような場合がある。なぜか。
posted at 14:44:54

D:消費者の側の問題はどうだろうか。ネットでできるだけ安く買おうとしてしまう。
posted at 14:48:27
ネットショッピングはヒューマンな部分をなくしてしまうのではないか。
posted at 14:53:40

B:新しい経済学、仕組みが生まれないかぎりは、変わらないのではないか。
posted at 14:55:15
何を美徳と思うのか。その価値意識をどうつくるか。
A:知的な充足を求めたい。でも、そのように人間は生きられない。
posted at 14:57:29
進行役:アメリカには、勤務中に雑談を2時間していてもよいとしている会社もある。それでも利益が上がっている。客の考えをよく聞くことで、それによってリピーターを生み出している。コンシェルジェ的な働き方。
posted at 15:02:13
上司も部下も同じ給料、仲間で楽しくやればいいじゃないかという会社もある。
posted at 15:04:08

本日は3名の方に集まってもらいました。次回は5月中旬を予定しています。またよろしくお願いいたします。
posted at 15:06:45

小金井哲学カフェにおける参加費・飲食費について

本日(4/22)の小金井哲学カフェには3名の方に集まっていただきました。

告知に書かせていただきましたが、参加費は無料ですが、通常のカフェで 開催しているため、個人の飲食費は各自で実費をお支払いいただくことに なっております。

本日、カレーを召し上がられた方(進行役の隣席の方)が、退席される際に お支払いされなかったとのことです。主催者側で立て替えておりますので、 次回以降参加される際に、立替分の精算をお願いします。

今回、カフェ冒頭で飲食費のお支払いについて十分にお伝えできておらず 申し訳ありませんでした。今後は、冒頭でご案内するとともに、退席される 際には、各自の飲食費をお店にお支払いいただきますようお願いいたします。

2012年4月15日日曜日

4/22に哲学カフェを開催します。

お待たせしました。4/22に哲学カフェを開催します。

たくさんの方のご参加をお待ちしております。
これまでの哲学カフェと開始時刻および会場が異なりますのでご注意ください。

・日時:4/22(日)13:00-15:00

・テーマ:「働くことは好きですか?」

・料金
参加費は無料です。会場は普通のカフェですので、ドリンク・軽食等をオーダーしてください。

・会場
ピリカカフェ(http://pirkacafe.com/
東京都小金井市本町5-12-14森ビル2F
武蔵小金井駅北口を出て、長崎屋右隣の道を北上した風風ラーメンの2階のカフェです。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

2012年3月30日金曜日

4月以降の小金井哲学カフェに関するお知らせ

小金井哲学カフェの進行役を務めておりました、やまもとです。
このたび、都合で東京を離れることになり、
4月からの小金井哲学カフェはこれまでの参加者の方に進行役を引き継ぐことになりました。

現在、新たな試みも含めて企画中です。
近日中に次回の哲学カフェについて案内できると思いますので、
新しい小金井哲学カフェにご期待ください。

2012年3月29日木曜日

3/18 第二回メタ哲学カフェ まとめ

遅くなりましたが第二回メタ哲学カフェのまとめです。
ツイッター上の投稿に適宜補足を加えてあります。


posted at 14:29:10
進行役:本日のテーマは「メタ哲学カフェ」。「哲学カフェは何を目指すのか」です。
posted at 15:04:14

1、哲学カフェは「おしゃべり」「雑談」と何が違うのか。
2、哲学カフェはどのように「哲学的」なのか。
3、哲学カフェはいま何を目指すのか。

この三点について話し合いたい。

まず、1から。

posted at 15:06:29
A:様々な哲学カフェに出たが、テーマの立て方に違いを感じる。原理原則を話し合うのが哲学カフェ。おしゃべりでは触れないことを話す。
posted at 15:12:18
A頭を使う。受身ではなく、異なる立場に身を置いて考える必要がある。それは世の中での訓練にもある。
posted at 15:13:54
B:哲学カフェの本質が何なのか見えない。議論の仕方も集まっている人数も違うのに、ひとくくりに哲学カフェとして論じていいのかわからない。
posted at 15:15:21
A:哲学カフェの場合は、学問的ではなく日常的な話題。専門的な用語ではなく、日常的な用語。学問的な哲学とは違う。ただ、そこからよりよい生活が見えるような気がした。
posted at 15:16:21
B:哲学道場は、哲学カフェに比べて縛りがゆるい。専門用語も飛び交う。議論が好戦的。武闘派。学生以上に、哲学が趣味の人が集まる。
posted at 15:19:38
B:大学のゼミとの比較も必要だと思う。そういうところとの区別から哲学カフェの意義をみつけられるのではないか。
posted at 15:20:35
不明:哲学カフェの背景には、コミュニケーションが欲しいという潜在的な欲求があるのではないか。切実な欲求がある。
posted at 15:22:11
進行役:哲学カフェとは何なのか、全く共有できてないという印象がある。
はじめにレクチャーがあって、その後、討論がある哲学カフェもある。「おしゃべり」でしかない哲学カフェもあるように思う。
posted at 15:23:46
A:カフェってつくと、「市民参加」というイメージがある。哲学書を読んだことがなくても、来て、何かを持ち帰ることができる場だと思う。
posted at 15:25:09
C:ひとりひとりが哲学をもっているが、あえて言語化する場がない。カフェ、道場、哲学塾、今日話を聞いて、それぞれに面白さを感じた。
posted at 15:26:30
B:哲学カフェの参加者は、あからさまな否定を避けているような感じがする。
posted at 15:27:12
B:れぞれの哲学カフェで、住み分け、それぞれのカラーが出たほうが面白いんじゃないか。選択肢が増えたほうが面白い。それぞれの場で輝ける人がいる。
posted at 15:28:17
D:議論の中で、激昂するのだってありじゃないか。日本に入って、日本風になっているんじゃないか。
posted at 15:29:52
E:道場の場合は、発表者によってその場のカラーが決まる。哲学の知識がをなくても、声が大きくて、演技力がある人がやっていきやすい場。
posted at 15:32:10
C:レクチャーをいれるやり方もある。生活実践と、自分の経験知と論理を、専門知から結びつけている。
posted at 15:34:31
進行役。自分の場合、哲学カフェを始めたきっかけは、最初は、学問を社会に結びつけていこうというアウトリーチという意識が強かった。
しかし、実際の哲学カフェに出てみると、参加者が鬼気迫る人生体験をぶつけてくる。いままでやってきた哲学が、実感がこもってないものに感じた。
哲学カフェを続けながら、哲学カフェとは何なのかがわからなくなってきている。共有しているエッセンスはあるのか。
posted at 15:38:00
進行役 2.哲学カフェは何が「哲学」なのかについて話を移したい。
posted at 15:38:28
進行役:専門用語を嫌うというスタイルが、哲学カフェではわりと統一されている。ただ、専門用語が必要というスタンスの人もいるだろう。
前回のメタ哲学カフェの内容を踏まえると、哲学を勉強したいと思って哲学カフェに来る人も多くいる。参加者のある考えは、あの哲学者に近いということを言ってあげてもいいのではないかという意見もあった。
posted at 15:40:17
進行役:、一方、ある哲学カフェでは、参加者の中に哲学に興味ある人は数人で、話をしたいという人の方が圧倒的に多かった。
posted at 15:41:00
A:少なくとも哲学を感じることができる場ではあるのではないか。テーマの与え方やファシリテーションの仕方も含めて。
posted at 15:41:57
F:ただの対話の場ではない。少しレベルの高い対話をしたい。ふつうのおしゃべりの場ではしない。考えるしかけをくれる場。
posted at 15:42:56
G:インタラクティブに話し合える場は、哲学カフェだけだと思う。サイエンスカフェはアウトリーチ的な視点しかないように思える。
posted at 15:43:49
H:社会学とは何が違うのか。本当に哲学ど真ん中のテーマを扱っているような哲学カフェはそんなにないのではないか。
posted at 15:44:18
E:「哲学」をどう定義するかという問題。問いかけて、答える、議論。ソクラテスが言ったことに近いのではないか。問うことによって哲学をしているのではないか。
posted at 15:45:25
E:哲学カフェを、社会学によってフィールドワークしたら面白いような気がする。
posted at 15:45:52
F:問答のスタイルが哲学的であれば、哲学的なのではないか。
posted at 15:46:06
D::わからないものをわかろうとするのが哲学なのではないか。わからないということをわかることが哲学だと思う。
posted at 15:47:25
A:社会問題にしても、「哲学」がないままに、議論がされていると言われる。その場合の「哲学」とは何なのか、それがわからない。論理的なものなのか。今日はそのヒントをもらいにきた。
posted at 15:48:56
I:一般的に、企業「哲学」、人生「哲学」のように言われる。それが哲学カフェの哲学なのか。対話という話もでた。哲学史上の大問題にストレートにぶちあたることなのか。
posted at 15:50:34
進行役:ふだんあまり考えないようなことについて、きっかけを与えたい。小金井哲学カフェでは一応そういう風に言っている。それはサイエンスカフェでも、演劇のワークショップでもやっている。じゃあそれらは哲学カフェなのか。
posted at 15:51:23
A:哲学は帰納的に結論を出すものではない。社会問題に対して、どう生きるのか。
それをベースに結論を出すのが、哲学だと思っていた。
posted at 15:53:12
A:人間とは何か。社会とは何か。震災以降、考えることが多くなった。さまざまな社会問題に対して、どう考えるか。
posted at 15:54:25
A:日常問題にあふれている諸問題は突き詰めていくと、哲学になる。それまで、哲学は形而上学的なものだと思っていた。リアルな日常の中でどうしていくかというところに結びついていく。
posted at 15:55:53
D:カントが、根本的な問題は5才の子供でもわかるといっている。命が大事だということが共通する根本的な価値観だと思う。
posted at 15:57:02
A:でも、その人間の命が大事だという価値観自体がわからなくなる。
posted at 15:57:26
E:人間の命が絶対条件かということ自体も問いになる。
posted at 15:57:49
E:「思想」と「哲学」との異同の問題ではないか。
posted at 15:58:20
G:科学にも限界がある。わからないことがある。そうした束縛条件のもとで、いま何をすべきかということを語ること。
posted at 15:59:57
G:哲学は、知識の体系。あるいは、ああでもない、こうでもないというディスカッションのダイナミクス。間違ったことを絶えずディスカッションによって修正していく場。
posted at 16:00:48
F:大学でやっている哲学は、かなりスタティックなものだと思う。社会との乖離がある。もどかしい。哲学にはダイナミックな側面がある。問うこと、疑うこと、哲学の根本にあるもの。
哲学カフェとは何かという定義よりは、そうしたダイナミクスを大切にしていけばいいのではないか。
posted at 16:03:36

進行役:こういうふうに、哲学カフェについて話し合う場すらなかったというのが現状だったと思う。定義やあるべき姿を定めたいわけではない。
posted at 16:07:45
B:道場は、福祉の面もある。哲学がどうしても必要だが、どこのカフェや塾にも受け入れられなかった人が集まる傾向がある。
posted at 16:09:03
D:哲学カフェは自分にとって希望になった。こうやって生きればいいという希望をもてた。
posted at 16:10:09
H:ダイナミックに動くところも、長期間変わらない本質的な部分も確認されるべき。両輪。
posted at 16:11:48
H:哲学書によって学ぶということもある意味ではダイナミック。議論をするということもダイナミック。実践に展開していくということもダイナミックともいえるのではある。
posted at 16:12:24
E:ダイナミックな哲学を芸術で表現したらどうなるかと思っている。
posted at 16:13:17
哲学も芸術も、普遍性を打ち立てて、それをぶつけ合う。多くの人とぶつかりあっていく。
posted at 16:14:45
進行役:ひとりで哲学書を読むことと、対話は何が違うのか、という意見も前に出た。あえて議論をすることの効率の悪さもあるだろう。わざわざ時間を費やして、話し合うのか。
posted at 16:15:48
E:「気づき」がある。どこに参加するにしてもそういう意義がある。
posted at 16:16:25
不明:本を読んだってそれはあるのではないか。
posted at 16:16:37
不明:人と話したほうが、気づきが大きい気がする。
posted at 16:16:54
A:議論の方が、具体的な体験を聞ける。原理原則とのつながりを感じられる。同じ対象に向かっても、表現の仕方も違う。
posted at 16:17:41
B:自分の思ったことが正しいのか確認する場。新しい話題を持ち帰ることもできる。
posted at 16:18:09
B:哲学には、うまい人、下手なひとがいるように思う。議論、討論することで、下手な人がうまい人のやり方を学ぶこともできる。
一人で哲学書を読むだけでは応用できなかったり、読み違えたりする。うまい人がやっているのをみて学ぶ。
インプットするだけではない、アウトプットする場でもある。

posted at 16:20:26
B:哲学カフェの場合、それぞれの人が意見を言うが、それが展開して、組み上がっていくということがないように思う。
posted at 16:21:30
B:あまり衝突はしないようにする。平均化させられているような気がする。
posted at 16:22:36
不明:ディスカッションでやりあって大丈夫な人もいるが、ひどく傷ついてしまう人もいるだろう。そういう人にも来てもらいたいという面もある。
posted at 16:23:53
進行役:議論と対話は違うのか。
posted at 16:24:27
哲学カフェ、止めても止めてもしゃべる人がいるため、出入り禁止があるという話も聞く。
posted at 16:25:46
A:「カフェ」であるから、なるべく公平に話すというスタイルをとっている。それに合わない人がいるということだろう。
posted at 16:26:45
寛容であることによって、不寛容であるのかもしれない。「カフェ」の規範に合わない人も受け入れられるのか。
posted at 16:27:38
D:哲学カフェは、平成のアカデメイアを目指しているのではないか。
posted at 16:28:36
F:哲学カフェでは、はっきりこれが何かと得るものはないかもしれない。題材によって、違うかもしれないが。何か持ち帰りたいという感覚がある。
結局、結論は出ないのが、哲学カフェ。
プロセスを楽しむのが哲学カフェ。こういう気づきもあったというのを持ち帰ることはできるだろう。
posted at 16:31:47
E:持ち帰る人が来るのだろう。持ち帰れない人は去っていくのだろう。
posted at 16:32:18
G:カフェという場は、肩の力を抜いた場。サイエンスカフェはワンウェイ。哲学カフェは民主的で、インタラクティブな場。それも一つのあり方。新たな気づきによって、新しい脳の回路が構成されれば、それはそれでいいのでは。
posted at 16:34:00
B:結論がでなくてもいいが、対立が欲しい。それがあれば、見えてくるものがあるような気がする。
posted at 16:36:09
B:2時間じゃ足りない。限界があるのではないか。
posted at 16:36:46

posted at 16:39:38
進行役:哲学カフェはこれからどこに向かうのか。一種の哲学ブームが来ているという実感がある。サンデル、や、とりわけ震災以後に顕著。
posted at 16:40:57
B:それぞれのニーズにあった哲学カフェほか団体ができればいいというのが一つの答えかと思うが。
posted at 16:41:32
進行役:今後、どういった形の哲学カフェができればいいと思うか。
posted at 16:41:56
B:哲学カフェごとにそれぞれのカラーがあればいいのではないか。小金井ならでは、のように。
posted at 16:42:31
不明:参加者主体となると、難しい面があるのではないか。色をつけづらいのではないか。
posted at 16:43:01
B:無色とはいえ、スタンスはある。さまざまな哲学カフェに分化していけばいいというのが一つの意見。
posted at 16:43:49
不明:地域性もある。関西ならもっとおしゃべりな人がくるだろう。
posted at 16:44:32
A:カフェと名付けた時点でスタイルを選んでいるのだから、それでいいのではないか。
posted at 16:45:39
F:哲学カフェが関東で出始めたのはわりと最近のこと。今後、試行錯誤の中で、色合いが出てくるのではないかということもある。
posted at 16:46:14
A:哲学カフェに求めるもの。ひとつは対話のスタイル。一人ではできない対話の体験。目的は、民主的な対話を日常的にできる場が欲しかったということ。考えることはなんでもよかった。
posted at 16:47:07
A:もうひとつは、日常的な次元で自分が考えていることをサポートする哲学を学ぶ場。自分の考えが、哲学の歴史のどこにあるのかということを学びたい。
posted at 16:48:12
A:対話の訓練。それは、哲学カフェと無関係に発生していいと思う。ただし、哲学カフェに求めるのは、立ち返れる場。
posted at 16:49:01
不明:どうしたって、主催する人のカラーになっていくと思う。
posted at 16:50:12
B:悩んでいる主催者と、悩んでいない主催者がいるかもしれない。その悩みを、オープンにするということが大事だと思う。
posted at 16:51:23
A:日本人は対話がへただと思う。政治参加の場合もそう。自分の考え方を相手に知ってもらうことを学ぶ場であってほしい。
posted at 16:55:21
F:「哲学」ではなく、「哲学する」という動詞で考えることもできると思う。
posted at 16:55:57
G:会社で哲学なんて言うことはできない。首だと言われそう。こういう場がなければ、孤独死していたかもしれない気もする。
posted at 16:57:39
H:会社で言えないようなテーマを積極的に取り上げてもらえればいいのではないか。
posted at 16:58:34
H:日常的な場面で哲学的な話ができるようになれば、こういう場をあらためて設ける必要もなくなるかもしれない。
posted at 16:59:10
B:日常に哲学があふれているよりは、やりたい人が自由にできる環境をつくれればいいと思う。

9名の方に参加していただきました。
他の哲学系のサークル・イベント等に参加されている方にもご参加いただき、
非常に有意義な会になったと思います。
この場を借りて参加していただいた方に感謝申し上げます。

小金井哲学カフェ やまもと

2012年3月17日土曜日

3/17 哲学カフェまとめ


第11回小金井哲学カフェ

テーマ:電車内での通話はなぜだめなのか。
posted at 15:06:41

A:携帯電話ができたときから、不思議だなとは思っていた。ふつうの対話と何が違うのか。
posted at 15:08:40
なんで禁止されているのかわからない。
posted at 15:09:19
C:個人的にはだめではないような気もする。なぜだめなのか、聞かれたときに答えられない。
posted at 15:10:11
D:なぜってのがわからない。どう説明したらいいのかわからない。
posted at 15:10:43

進行役:まず、「事実」を語ってみよう。
禁止されたのは何年前か。電車以外の他のところではどうだろうか。
posted at 15:13:10
B:事の発端はペースメーカーへの電磁波の干渉だったのではないか。
ただ、優先席以外の場所で電源を切れっていうのは、他の理由付けか。
posted at 15:14:35
海外では、べらべらしゃべっている人がいる。
posted at 15:14:59
C:デンマークでは、話していい車両が分けられている。
posted at 15:15:26
D:ペースメーカーになんかしらの影響を与えたという報告はない。
posted at 15:16:53

進行役:香港は飲食禁止。ケータイはべらべらしゃべっている。ドイツは、携帯OK。飲食も大丈夫。
posted at 15:17:54
A:日本もボックス席は大丈夫なものもある。駅弁もある。
posted at 15:18:43
B:昔の携帯電話は聞こえづらくて、大きな声でしゃべっていたのかもしれない。
飛行機、病院も、電磁波の関係で禁止されているのだろう。
posted at 15:20:22
A:タクシーはよし。バスはわからない。
posted at 15:20:39
D:ラーメン屋、カフェ、マックは大丈夫そうだ。
A:注意されるレストランはあるかもしれない。
posted at 15:21:33

進行役:では、ケータイで話しているのを聞いて、感情的に思う面についてはどうか。
posted at 15:22:12
C:中身が気になる。どんな話をしているのか。
posted at 15:22:30
A:「はしたない」という心情が入っているのかもしれない。
イヤホンの音漏れの延長線上か。自分の聞きたくないものを他人に聞かせてしまっている。
posted at 15:24:00
C:パトロールのためのものか。怪しい電話を管理するためだったのではないか。
posted at 15:25:39
B:独り言を横でぶつぶつ言われると不快、それに類するのか。
posted at 15:27:08
C:自分が思っていることと違うことが起こっていることへの違和感。
posted at 15:27:30
A;家電量販店やホームセンターで騒々しい放送が流れていて、それは許容できるのになぜなのだろうか。
posted at 15:28:30

進行役:それでは、電車内での通話を禁止することのプラス面についてはどうだろうか。
正当化できるならどのように可能だろうか。
posted at 15:29:34
B:抑圧することで、電話する人が何割か減っているだろう。
posted at 15:31:26
A:自分の縄張りを侵犯されることがない。
posted at 15:32:28
D:日本人特有と言われるものとして、恥の概念はどうか。
ルールは守られるべきであるという考え方がある。
posted at 15:32:53
A:静かになる。
posted at 15:33:55
B:携帯電話がうるさいことから生じる、乗客同士のトラブルを回避する。鉄道会社側の理由。
posted at 15:34:37
進行役:なぜ、ではトラブルが起こるような不快感は生じるのか。
posted at 15:35:14
A:鉄道会社のアナウンスがあれば、大義名分をもって、注意できる。
posted at 15:35:54
B:日本人は、通話がうるさかったときに鉄道会社に直接クレームを言ってしまう。
自己責任に多くを負っている国民性に対して、安全に安全を見込んだ基準を定める日本の国民性か。
posted at 15:38:36

進行役:では禁止することによるマイナス面はどうだろうか。
B:必要なときに電話できなくなる。電車の中の時間を利用できなくなる。
posted at 15:39:06
A:メールは許されているのになぜなのだろうか。
外国人はメールで連絡すればいいところでも、電話をする。
posted at 15:40:08
B:通話専用車両があったらどうか。サラリーマンなら多少料金を上乗せされても乗るのではないか。
posted at 15:43:34

進行役:そもそも、なぜ、電車内の携帯電話を不快に感じるのか。
posted at 15:45:31
C:酔っぱらいの方が、不快に感じる。
posted at 15:46:26
B:合理的な理由が見当たらない。
posted at 15:46:37
A:縄張り、期待することがキーワードか。常識みたいなところからの逸脱への違和感。
実害はないと思うが、反社会的な行為と認識することによって不快と感じるのでは。
posted at 15:47:29
D:横浜市営地下鉄は、全席優先席。何車両かに1つ、最優先席。
モラルがくずれているところがあるのではないか。
posted at 15:49:45

進行役:電車内での普通の会話にうるさいと思ったことはあるか。
posted at 15:59:12
A:自分の関心あるテーマならいいかも。
posted at 16:00:19
B:会話なら許される。一方通行の話に、不快感を感じているのでは。
posted at 16:00:59
進行役:ひとりごとには、同じものを感じるか。
D:ひとりごとは、自分の世界で完結している。
posted at 16:03:31
C:共同体から脱している感じへの違和感。車両の中で一体感をもっている。
posted at 16:06:11
A:電車の外部の空間と通じているのがよくないのでは。それが不快に感じるのではないか。
posted at 16:06:58
電車内では他の人を意識して、一種の共同体ができているのでは。
通話という外部とのつながりによって、共同体が破壊されているように思える。共同体外のよそものと話している印象を受ける。
posted at 16:07:36
共同体との関係が、なぜ日本人は電車内での通話を嫌うのかということの理由にもなるかもしれない。
posted at 16:09:00
B:車両と車両との間、その外部との間に境界ができている。
posted at 16:09:53
A:メールの場合は、他者から外部とのコミュニケーションをとっているようにはみえない。だから大丈夫なのではないか。
posted at 16:10:37
C:電車内の人が、外の人に答えて手を振っている。電車が発車して別れたあと、その人がどう振舞うのか気になる。
posted at 16:12:43
進行役:ふつうの意味での共同体とは違うのは、横の人とのつながりがないこと。暗黙の共同体。
posted at 16:14:10
E:その場合の共同体の規範はどこから来ているのか。浴びるようにアナウンスを受けている。
posted at 16:17:07

タクシーはどうか。私的な空間になる。
posted at 16:18:22
B:明文化しづらいし、根拠はないのではないか。しかし、そこに帰属意識がある。
posted at 16:21:17
D:もし車内での通話をルールとして禁止しなかった場合、どうなっていただろうか。
posted at 16:23:01
B:ルールがあろうとなかろうと、抑制する傾向になったのではないか。
posted at 16:24:24
A:街中でイヤホン、マイクをつけて話している人がいる。違和感がある。
posted at 16:30:09

進行役:電話と対面でのコミュニケーションはどう違うのか。
posted at 16:30:41
B:電話は、不完全なコミュニケーション。
posted at 16:33:24
進行役:対面でのコミュニケーションは完全なものか。書面の方が伝わるという人もいる。
posted at 16:33:58
B:テレビ電話も普及していない。望まれていない。
posted at 16:37:14
本当に重要なときに通用するかが基準か。
posted at 16:38:10

今日はありがとうございました。4名の方にお集まりいただきました。
posted at 16:44:07


2012年3月7日水曜日

3/18(日)にも哲学カフェを行います!

3/17(土)にも哲学カフェを行います。
詳しくは下の記事をご覧下さい。

3/18(日)に哲学カフェを行います。
どなたでもお気軽にご参加下さい。

日時:3/18(日)15:00-17:00

テーマ:第二回メタ哲学カフェ
「哲学カフェは何を目指すのか」

「哲学カフェ」についての「哲学カフェ」が
「メタ哲学カフェ」です。
第二回のメタ哲学カフェでは、
前回出た意見を踏まえつつ、
「哲学カフェは何を目指すのか」という問いを軸にして
みんなで考えて行きたいと思います。

哲学カフェを運営されている方、批判的な方、
参加者の方など、どなたでもご自由にご参加ください。
はじめて哲学カフェに触れるという人でも大歓迎です。

場所:小金井アートスポット シャトー2F
(地図は「アクセス」のページをご覧ください)
料金:飲み物代のみ
(併設のカフェで、1オーダーをお願いしています)

参加申し込みは以下のフォームよりどうぞ。

3/17に哲学カフェを開催します。

3/17(土)15:00-17:00に哲学カフェを開催します。
哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

日時:3/17(土)15:00-17:00

テーマ:リフレーミングを体験しよう
「電車内での通話はなぜダメなのか?」

リフレーミングとは、自分の考えとは違う角度からものを見ることで、
問題に対する視野を広げる手法です。

今回は、「電車内での通話はなぜダメなのか?」という話題に関して、
実験的にワークショップの手法を用いてリフレーミングを行い、
対話を行ってみたいと思います。
自分の考えていたことと違う角度から物事を考えることで、
新たな気づきがあるかもしれません。

場所:小金井アートスポット シャトー2F
(地図は「アクセス」のページをご覧ください)
料金:飲み物代のみ
(併設のカフェで、1オーダーをお願いしています)

参加申し込みは以下のフォームよりどうぞ。

2012年2月27日月曜日

3/3にアート哲学カフェを開催します。

このたび、小金井アートスポットの展示を題材に哲学カフェを急遽行うことになりました。
どなたでもお気軽にお参加ください。

日時:3/3(土)15:00-17:30
場所:小金井アートスポットシャトー2F 地下オアシス
(地図は「アクセス」のページをご覧ください。)

テーマ:アート哲学カフェ
展示作品を鑑賞した後に哲学カフェを行います。
15:00-16:00 展示鑑賞
16:00-17:30 哲学カフェ

作品タイトル:「Close Encounter of the Farther」
アーティスト:和田昌宏 (http://www.masahirowada.com/)

注意
当日のカフェの内容をビデオで記録します。
撮影を希望されないという方もご相談ください。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。

2012年2月18日土曜日

2/18(土)哲学カフェ まとめ

まもなく本日の哲学カフェを開催します。
posted at 14:57:42
思考実験の内容を紹介します。 「健康王国でのもめごと」 健康王国の健康大臣は、国民の食べ過ぎを気にかけていた。 国民の20パーセントは食べ過ぎで、毎年10万人が心臓病などで早死にしていた。
posted at 15:01:34
大臣は、特にチョコレートの食べ過ぎが国民の不健康の原因だと考えて、チョコレート産業を規制する案を出した。
posted at 15:02:46
1.「食べ過ぎは人を殺す」というキャンペーンを実施する。 2.食べ過ぎがどのように不健康を引き起こすかを学校で教育する。 3.チョコレート税をつくる。
posted at 15:04:02
この規制に対して経済大臣が反論した。 経済大臣の反論「チョコレートを食べることと心臓病の間に確実なつながりは認められない。もし認められるとしても、チョコレートを食べるのは個人の選択に委ねられるべき問題である」
posted at 15:05:42
さて、この規制は妥当でしょうか? まずはみんなで考えてみましょう。
posted at 15:06:19
6名の方にお集まりいただいています。
posted at 15:10:31
今日は思考実験に挑戦、です。
posted at 15:11:50
進行役:チョコレートを規制する。あなたはどう思いますか?
posted at 15:15:36
A:公共の福祉にのっとっていて、いいのかなとは思いました。
posted at 15:16:18
B:反対。今日、個人の選択が重視される。包装紙に害の内容を書くことくらいが落としどころか。
posted at 15:17:29
C:ほんとに害があるのか、ちゃんと納得させてもらえないとちょっと。
posted at 15:17:49
D:なぜチョコレートだけなのか。
posted at 15:17:59
E:食べ過ぎで死ぬという因果関係はあるかもしれないが、チョコレートだけ規制するのはなぜか。チョコレートだけ食べているわけではないだろう。
posted at 15:19:10
B:チョコレートと健康の因果関係を明らかにするのはかなり難しいのではないか。科学的に有意ということの難しさ。
posted at 15:20:16
A:因果関係は前提とした上で、施策のあり方を議論した方がいいのかどうか、まだわからない。
posted at 15:22:03
進行役:では第二の段階にいきましょう。
チョコレートと心臓病の間に因果関係があることが科学的に明らかになってきました。
大臣は、公共の場でチョコレートを食べることを禁止しました。
チョコレートのパッケージに、「心臓病の原因となる脂肪と砂糖が含まれています」
ということが記載されるようになりました。

この段階まで来たとき、あなたはこの規制が妥当だと思いますか。

posted at 15:23:37
E:なぜ公共の場所では食べてはいけないのか。
posted at 15:23:52
進行役:他の人にも大きな影響を与えてしまう。食べたくなってしまう。
posted at 15:24:34
C:禁酒法を思い出した。
F:密売が起こりそう。
posted at 15:25:06
B:国家ごとの選択の余地が出てくる。
posted at 15:25:49
D:パッケージに警告を出すのは賛成。国民は、それがあれば、選べる。
posted at 15:27:05
D:公共の場所で食べること禁止には反対。個人に選択の余地がなくなる。
posted at 15:27:47
A:でも私有地では大丈夫。個人の選択は担保されているのではないか。
posted at 15:29:42
A:シンガポールのガムの制限。所持の禁止。捨てる人がいる。人前で食べてはいけない。
posted at 15:30:29
進行役:第三の段階にいきましょう。
規制はどんどん厳しくなっていきました。
同じように脂肪と砂糖を含むキャンデー、ピザ、ケーキなども規制されるようになりました。

この段階まで来たときに、あなたは行き過ぎだと思いますか?
posted at 15:32:58
B:あらゆる食べ物は食べ合わせによって、発ガン物質をもつ。
この考えで行くと、すべての食べ物が禁じられてしまうので行き過ぎだと思う。
posted at 15:34:42
進行役:この思考実験を踏まえて考えたいことはありますか。
posted at 15:36:06
B:成功しやすい規制と、失敗しやすい規制にどんなものがあるか。
posted at 15:36:27
C:ポイ捨ての規制は可能か。捕まってるのをみたことがない。
posted at 15:37:54
E:自分の管轄以外に捨てるのはだめだろう。ただ、ゴミ屋敷によって周りに被害が及ぶということは考えられる。
posted at 15:39:13
E:愚行権という考え方がある。他人に危害を与えない限り、本人がいいといえば、やらせてあげる権利。
posted at 15:40:01
B:チョコレート規制は、愚行権を侵害している?ただ、医療費が膨大すると、国家の損害になるのでは。
posted at 15:41:15
C:たばこを規制したほうが国家財政にいいのか。早死することで年金が回るので、国家財政にはいい。
posted at 15:42:47
進行役:愚行権を認めるとすれば、マリファナを肯定できるのか。思考実験の例だと、最後にマリファナとの違いについて大臣が述べて終わる。
posted at 15:44:34
E:お金持ちが何らかの製品を買いためて、無駄にするという例はどうか。
posted at 15:47:39
E:高い絵を買いためて、燃やすのが趣味。愚行権は認められるか。
posted at 15:48:06
D:買いためるという行為自体が批難されるのではないだろうか。
進行役:買った芸術作品を燃やす人を、どうやって非難できるのだろうか。

C&F:もったいない。
posted at 15:49:03
C:燃やしちゃうのは、アート作品がもったいない。その人だけのものではなくて、社会全体の財産という感じがある。
posted at 15:49:58
E:説得することはできるのだろうか。
posted at 15:50:16
D:作家との信頼関係。作家は燃やされることを前提につくっていない。
posted at 15:51:03
B:箱にしまっておくのはどうか。死蔵になるだろう。模範的な程よい使い方があるのか。
posted at 15:51:43
A:お茶碗を復元する技術がある。割れたものを直したものに「わび」があると言う。なのでわざと割ってしまう人がいる。使い込んで色合いが古びたものとどっちがいいのか。
posted at 15:53:15
B:ロックコンサートで燃やしてしまうギターもある。燃やしてしまうことの快感。
posted at 15:55:48
A:意図して壊すのはどうか。金継ぎにしたい人がいる。作家にとっては嫌な行為。
posted at 15:58:55

五分ブレイク。

D:今まではモノの話だったが、
生命についての話に入る。マリファナは個人の趣味にしていいのか。
posted at 16:06:20
B:家族に被害が及ぶ可能性がある。
posted at 16:07:10
C:マリファナだと日常的に摂取しても特に害はないといわれる。
posted at 16:08:15
A:依存してしまうものの話。ギャンブル・性行為も依存しすぎると、一つ上のステージに行ってしまう。
posted at 16:08:44
C:法律はどういう基準で線を引いているのか。法律だと身体の依存性で判断されているんじゃないか。
posted at 16:09:10
A:ギャンブルで破産するのはざら。依存性をはかる基準はあるのか。
posted at 16:09:30
A:個人と公の関係がきになる。公が規制することについて。
posted at 16:10:39
B:程度の違いでだいぶ印象が変わる。健全な目的であるならマリファナもチョコレートも禁止しない。麻酔のような用法もある。
posted at 16:11:53
F:海水浴場で「刺青の人お断り」というのも気になる。
C:もともとはやくざの締め出しか。
posted at 16:13:07
C:ふつうの人がタトゥーをいれる時代になってしまったので、この規制は少し変な感じがある。
posted at 16:13:44
E:プライベートとパブリック。国家と私人の関係か。真ん中にローカルルールがあるのでは。タトゥーはコミュニティールールではないか。
posted at 16:14:48

posted at 16:15:33
進行役:国が規制するルールとローカルルールの差は何か。
posted at 16:17:03
D:食品とかは、家族単位で規制されている。
進行役:アイスキャンディーは一日一本まで。とか。
posted at 16:17:32
A:国家が規制するのは、国にとっての不都合が生じるときでは。国がメリットを受けるから、規制する。
posted at 16:18:20
A:愚行権はどこにあるのか。社会にデメリットがあるとき、規制される。
posted at 16:19:37
E:紙幣をコラージュしてつかまった芸術家がいる。貨幣は社会にとっての血液であり、それをいじるのは社会秩序を損なう。というのが、貨幣を改変することを法律で禁じる理由では。
posted at 16:21:38
C:というより、偽札が横行すると困るからでは。
A:でも、外国の貨幣は国内で改変してもいい。
posted at 16:22:36
D:これらは一種のタブーではないか。しかし、タブーは法律で規制できるのか。
posted at 16:23:36
A:自殺を規制する法律はない。自殺未遂が刑法にひっかかる国がある。
posted at 16:25:02
A:慣習が法律になっているのでは。キリスト教、イスラム圏のように。
posted at 16:26:05
B:つきつめると理由がはっきりしない。それがタブーではないか。近親相姦のように。
posted at 16:26:53
進行役:タブーとは、理由がよくわからないが規制されているものといえるか。理由が明確で規制されているものとの違いはあるか。
posted at 16:28:05
E:タブーを法律などで明文化することは考えられるか。理由がなければ立法趣旨が書けない。
posted at 16:29:19
進行役:覚せい剤はタブーか。そうでないか。
D:タブーは文化から出てくるもの。覚せい剤は科学的に有害性が証明されているから。
posted at 16:31:30
進行役:喫煙はこのまま時代が経つとタブーになるか。
posted at 16:31:44
A:いまではタブーとされることが、昔はよかったものがある。同性愛。江戸時代までは褒められることはあれ、けなされることはなかった。
posted at 16:33:11
D:ただ、美少年を連れ込むのは、人権に関わる問題ではないか。
posted at 16:33:51
A:混浴もよかった。西洋の文化が入ってきてから、変わったことがある。肉食も、表向きはだめだった。
posted at 16:34:59
E:同性愛の文化。ここ15年で緩和されている。
posted at 16:35:38
E:しかし、太古から続いているタブーがあるのでは。本質的な、人間の遺伝子に根ざしているような。近親相姦。人肉を食べること。
posted at 16:36:20
C:人工授精。今は人によってはタブーと感じるが、技術がすすめば、変わってくるかもしれない。
posted at 16:37:25
進行役:タブーは、道徳、倫理、モラルと関わる。しかし、分けて考えることもできるのではないか。
posted at 16:38:15
B:明文化されていないものは、なんでも個人の自由ではないかという傾向。
「多様性」という言葉が免罪符になる。
posted at 16:39:59
進行役:ただ、過去のタブーで不合理なものはあるかもしれない。肉食の禁止など。
posted at 16:41:08
B:食人。食料問題の解消に資するようになるかもしれない。
E:「緊急避難」という法律用語がある。船が沈没して、助かったのが二人、板が一枚。もう一人を殺してもいい。
posted at 16:43:03
A:葬送儀礼で食人をする南国の種族もあるという。食人したくない理由は、実際にはわからない。食べたくないといわれてるから、だけかもしれない。
posted at 16:45:51
E:ひとに宗教、収入、学歴を聞くのはタブーだとされる。なぜか。
posted at 16:47:25
C:差別につながるとされる。
posted at 16:47:45
進行役:女性に歳を聞いてはいけない。なぜか。
A:「若さ」に価値があるとされる。差別につながる。
posted at 16:48:21
E;むやみに聞くと、嫌なことを言わないといけない状況になってしまう。
F:趣味はなんですかと聞かれて、奇特な趣味は言えない。
B:クラシック音楽はいい。アニメソングはだめ。
posted at 16:50:13
E:聞かれたがっているひともいる。オタクのひとはリア充の前ではいわない。ある状況のなかでは受け入れられるが、ある状況ではいえないことのおかしさ。
posted at 16:51:43
A:では、規制を決める根拠はどこにあるのか。共同体に利益があるかという背景にいくのか。
posted at 16:52:40
進行役:これまで話してきたことは、哲学的にいえば、自己決定ということと、倫理の対立。あるいは自己決定と国家との対立。個人の自由をいかにして守るかという論点と共に、よく出される話題です。その意味で今日の議論はすごく哲学的でした。
posted at 16:55:06
進行役:今回の思考実験は、「哲学101問」という本の内容を参考にしました。
最後にその本から、話題に上った食人に関する思考実験を紹介します。
食人を研究する文化人類学の教授がいて、その文化を守らないといけないという主張をする教授。ところが誕生会に招かれ、お世話になったひとを食べなければならない状況に陥ってしまう。さて、教授はどうするか。文化差を超えた規範は存在するのでしょうか。
posted at 17:04:32
今日は6名の方に集まっていただきました。ありがとうございました。
posted at 17:41:27
次回は3月の17日(土)、18日(日)を予定しています。時間は変わらず、15~17時です。
posted at 17:42:21